∑考=人

そして今日も考える。

情報過多の時代で

例えば、転職しようと考えたとする。まず、あなたは何をするだろう。とりあえずググるはずだ。

 

ネットで候補となる、会社を調べてみると、実に色んなことがわかる。従業員が何人いる、どんな仕事内容、会社として成長しているのか、といった基礎的な情報から、実際に働いている人が何に面白さを感じ、どんなところに不満を持っているのか、全体としての評価は他と比べてどうなのか、そんなこともすぐにわかる。

 

これはトータルで考えれば良いことなのだろう。人間は「知らない」状態がすごく怖いからだ。得体のしれない人間と接するのが怖いのも本質的にその人のことを「知らない」からである。というわけで関わる対象が人であろうが、仕事であろうがその対象を事前に知ることができるのは良いことだ。

 

ただ、悪い面もあって、要は知りすぎてしまう点だ。事前に良い側面を知ることもできれば、悪い側面も必ず知ることになる。これの何がいけないか、というと行動にブレーキがかかりやすくなる。

 

本来、全ての物事には良い面と悪い面があって、そのバランスや自分との価値観との優先度に基づいて人間は自分の行動を選択しているように思える。しかし、実は悪い面が全くない選択肢を選びたいというのが人間の本性だ。

 

だから、良い面しか見えない方が実は行動に移しやすい。そして、一度行動を起こしてしまえば、あとで気づいた悪い面など受け入れるしかないので、それほど大きな障害にはならなかったりするのだ。

 

例えば、高校受験の時、その高校に行った場合の悪い面を考えたことがあるだろうか。私は何も考えたことがなかった。その高校がどんな高校なのか、どんな人間が集まっているのか、など何も考えず、ただ、偏差値の高い高校を選んだ。賢い高校に入ったら誇らしい、という良い側面しか考えていなかった。

 

大学受験も同じだし、もっと言えば、大学院受験も同じだ。ただ今いる研究室は嫌だったので、他のところへ行きたいという気持ちしかなく、行く先がさらに悪い可能性などは微塵も考えていなかった。

 

そもそも当時は、実際に高校や大学に通っている人間が何を感じているのか、なんて情報は入ってこなかった。私にいたっては、受験する研究室がどんなところかさえ事前に調べなかったのだけれど。

 

もし、事前に「研究発表は英語でプレゼン」などと言われていれば、その研究室には入っていなかったことだろう。もし、今の会社に入る前に、「忘年会では一発芸を披露しなければならない」などと言われていれば、今の会社には入っていなかったかもしれない。

 

現代は本当に情報がたくさん手に入る時代になった。ただし、それらは全て二次情報に過ぎない。そんなよくわからない悪い噂にビビって行動ができないとしたらそれは勿体無い。かつ仮に真実だとしてもやらざるを得ない状況になってしまえば、それほど大きな問題ではなくなっていたりするものだ。

 

情報過多の時代だからこそほんの少しの勇気を持とう。