∑考=人

そして今日も考える。

真実を見抜く力

若い人と仕事をしていると、「何が真実か?」を見極める力が圧倒的に弱いなと感じることがある。簡単に例えるならば、Aさんは「1+1=2だ」と言っていて、Bさんは「1+1=3だ」と言っている場合、それがどちらが正解なのかを見抜けないのだ。

 

上記の例であれば、誰でも即答できる。なぜなら、1+1=2であることを皆知っているからだ。「でもそれって本当に正しいの?」と聞かれた時にあなたはそれをどうやって証明できるだろうか。あるいは、「なぜそれが正しいと思うのか?」という問いに答えることができるだろうか。

 

おそらく、こんな回答をするのではなかろうか。

 

「学校でそう教わったから。」

 

「教科書にそう書いてあったから。」

 

上記の計算の場合においてこれは限りなく正しい。私もそう答える。

 

しかし、ビジネスの現場でこの類の回答でははっきりいって、甘い。「先輩にそう教えてもらった」、「設計書にそう書いてあった」としても、先輩が正しいことを言っているのか?設計書に書かれていることが正しいのか?の確証が弱ければ正しいとは言えないのだ。

 

学校や教科書がなぜ正しいと言えるのか?1+1=2であるという決め事が複数人によって承認され、年月を重ねているから限りなく正しいと言えるにすぎない。そして、これは100%の正しさを保証するものでもない。聖徳太子が実は存在しなかったのでは?など、教科書自体の記述を否定する説もあるように。

 

仕事をする上で扱う情報も同じである。人がやっている以上、情報間の完璧な整合性を保つことはほぼ不可能に近いし、タイムリーに正しい情報が変わっていくこともざらにある。


もちろんリーダーを勤める人はいかにして正しい教科書を作り、いかにして時の流れに適応させるのかを考えなければならない。


が、どんなに頑張ったところで程度の差はあれ必ず間違った情報は混ざってしまうということに全メンバが留意しなければいけない。

 

なぜならば、間違った情報を正しいと信じて行動すると必ずアウトプットを誤ることになる。そして、それは間違ったインプットを与えた人物の責任ではなく、そのインプットの正しさを見抜けなかったあなたのせいになってしまう可能性すらある。


もちろん会社間で仕事をする際は、契約などで守るはずであるが、社内、同じチームなどではこれらの意識は薄れがちである。注意しなければならない。