∑考=人

そして今日も考える。

私たちはいつまで紙で採点を使うのか

どうも。この度秋期のシステムアーキテクト試験に合格しました。

 

私は前回応用情報技術者の資格を取得してからとっくに2年以上経っているため、午前試験の免除が効かず、シンプルに覚えなければならない知識量が多いんですな。おまけに年に1回しかチャンスもなく、タイミングも選べない。そもそも丸一日ペーパーテストで潰れるのがこの歳になると惜しいし、体力的にもきつい。。。

 

と、まぁ色んな嫌な要素があって、ここ数年間は情報処理試験からずっと手を引いていたんですが、出世のために高度資格が必要とのことで、上司からの圧力を受けながら今回受験することにした、という背景です。

 

システムアーキテクトを選んだ理由はまぁいくつかあるんですが、強いて言うならば持っていた時に目立つかな?ぐらいで。ネットワークスペシャリストとかDBスペシャリストってこの世界にいるとよく聞くんですが、システムアーキテクトってあんまり聞かないんですね。

 

たぶん論文問題があるからで(これが後述の通り相当しんどい)、勉強する気が削がれるんでしょうね。私はこれでも割と文章を書くのは多分得意な方なので、今ならいけるんじゃね?ぐらいの感じでチャレンジしたわけです。

 

結局、論文対策なんてやっている時間はほぼなくて、当日にフル活用に無理やり回答した、という感じです。そもそも回答用紙に余白ありまくりだったので、100%落ちたと思っていましたが、まぁラッキーでしたね。

 

と、まぁ私の自慢話はここまでにして、本題なのは、この論文問題についてです。午後2時間半ぐらいで、トータル4000文字ぐらいを書かなければなりません。たぶんシステムアーキテクトに限らず他の高度情報系の資格とか、もしかしたら全然別の資格でもそういうのがあるかもしれませんね。

 

私はぶっちゃけ1時間で2000文字以上ぐらいは書けるんですが、それはタイピングを前提とした話。試験の時は「紙に筆記で書かなければならない」ことが最大の障害になりました。

 

まず、はっきり言って全然時間が足りませんでした。何を書くか考えなければならない難しさももちろんありますが、考えたことを書くスピードが追いつかないんですね。だから一度考えたことが書いている間にどこかへ行ってしまう。

 

また、ブログなどもそうで、書き出すことで初めて頭の中が整理されたりするものなんだけど、気軽に書き直すことができない。例えば、文章の構成を途中で変更しようものなら、最初から全て書き直さなければならなくなったりするので、基本的に最初に決めた通りに書くしかないんです。

 

最後に、漢字が出てこない瞬間とかもありましたね。やっぱり自動変換に慣れすぎるのもよくないです。

 

と、まぁ色んな障害をクリアする必要があるんですが、「この障害って今の時代に必要なのか?」と強く思いました。あくまで、知識や技能を持っていることを評価するための媒体に紙を使っているだけで、書面に自分の考えを時間内に筆記できる力は必要ないはずじゃないですか。

 

漢字がわからなくて落ちたり、途中で文章構成を変更する時間がなくて落ちてしまう人が実務でそのスキルが発揮できていないかというと、たぶんそんなことはなくて。だって、PCを使えば自分の知識やスキルを使って表現できるはずだから。

 

こう考えると、紙で採点を行うというのは機会損失ではないか、と思うんですね。本当に柔軟に自分の考えを表現する人は不合格になり、逆に初めに構成や文章量をかっちり固めている人が評価される。

 

教育の現場は古い慣習に縛られていることで、どれだけ損失を出しているか自覚した方がいいでしょうね。