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そして今日も考える。

PM的に考えるコロナ第二波への対処

東京都でコロナが数日連続100人を超えてますね。いよいよ第二波が来てしまったか、という感じです。月末に近場へのプチ旅行を計画していたのですが、キャンセルせざるを得ないだろうなぁ・・・。

 

www3.nhk.or.jp

 

さて。今回の第二波の流れは必然だったのでしょうか。皆さんはどう思いますか?

 

第二波を止めることができたかはわかりませんが、対応の仕方としてはいくつかやはり問題はあったように思いますね。

 

 

 

私が思うに、6/14,15で感染者数が2日連続40を超えたタイミングが対応方針を変えるタイミングとしては適切でしたし、原因となっている「夜の街」の営業を停止するなど、局所的な対応をするべきだった、ということです。

 

私が第二波の危機をキャッチするタイミングとして、6/14,15が適切だと考える理由は、まず「感染者の増加トレンドができていること」に加えて、「夜の街が危険なので控えて」という注意喚起ではそのトレンドは解消されない、という問題に気づけたはずだからです。

 

もちろん、事前に閾値を設けておくべき、というのは正論でその通りです。しかし、私も仕事上よくあることですが、閾値の妥当性や根拠を示すことは結構難しいんですね。例えば、CPUの使用率が何%を超えたら問題なのか?とか、何分間超え続けたら問題なのか?とか。明確な根拠というよりは経験則的に決めることが多いです。

 

今回のケースでは「コロナと共に生きていく」という覚悟のもと経済活動を再開したのです。少なくとも医療が止まらないレベルの感染者数までは許容する、というのが一つの基準にはなっていると思いますが、それと同時に重要な観点が、感染者が増えないか?ということです。

 

なので、週単位でどれだけ感染者が増えるか?といった増加率の閾値を設けるのが正しかったと思います。そして、すごく当たり前の話ですが、緊急事態宣言が解除された直後から現在に至るまでの間、感染者が減る新しい要因は登場していません。つまり、増加トレンドをキャッチしたら、何らかの対策を打たない限り減ることはないわけです。

 

システム開発の試験とかも同じです。生産性なので下がらないようにする必要があるという意味では逆ですが、生産性が下がっているということは上げるための対策をしなければならないですし、それは既に生産性を上げるための取組をしているのであればそれだけでは不十分だという信号です。

 

たまたま、今日は特別おおかっただけ、みたいな判断をついしたくなりますが、傾向で見ればたまたまではないことは一目瞭然です。冷静に客観的に、希望的観測を排除して判断する必要があります。

 

今回の希望的観測を象徴していた意見は、「PCR検査率に対しての陽性率は十分低い」という情報だったと思います。つまり何?と思いましたね。だから安全だと言える根拠ではないなと。もし安心していた人はよく考えてみてください。

 

上記のことから言えるのは、緊急事態宣言が出た頃はもっと多くの感染者がいたかもしれない、ということ。そして、沢山の感染者がいたから感染爆発をしたのではないか?ということ。

 

そこから、逆に今回のケースであれば感染爆発はしないだろう、と予測をできるような気もしますが、それは違いますね。すぐには感染爆発しない、というだけです。なぜなら、先ほどのべた通り、増加トレンドがあり、減少要因がないからです。いずれ、感染爆発を起こす感染者数になるまで膨れ上がります。

 

というわけで対策を打つ必要があるのですが、経済活動もあるので、やはり局所的だが効果を大きい策を優先的に打つのが通例です。少し前であれば、夜の街の営業を停止し、改善されるか、をまずジャッジするでよかったでしょう。

 

今はもう既に約4割が感染経路不明という状態ではっきり言って局所的な対策が打てない状況になっています。これはシステム開発だと門プロとか炎上プロジェクトとか呼ばれる状態に近いです。対策をしようにも何が問題なのかがわからない。でもどんどん悪い方向に向かっている。とりあえず大量に金と人を投入して何とかしよう・・・みたいな判断が下される状態です。

 

まずはインシデント対応的に、今表面化している問題への対策(暫定対処)と根本の原因を突き止めた上での対処(恒久対処)の二つを検討、実施すべきですね。

 

まず、暫定対処としては感染を食い止める。感染者との接触があった人、感染者が利用した交通機関を利用していた人は外出をさせない。現在のフェーズだと、ここまでやる必要があるんじゃないでしょうか。そして、恒久対処としては、クラスタを発生させうる業種の営業停止。夜の街など、一部に限定されていればよかったが、今はもうそうもいってられない。

 

このぐらいの判断を国に求めたいが、実際には色んな国民がいるのでここまで極端なことは実施しづらいのかもしれません。むしろ法的にできないのかも。ただでさえギリギリで生きている人もいると思います。

 

しかし、国が判断をしないということは、全てが個人の判断に委ねられるということです。それはそれで危険なんだよ?ということは理解してほしいものですね。