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そして今日も考える。

誹謗中傷を無くすには?をカスタマージャーニー的に考える

誹謗中傷は死を招くほど危険な行為です。少し前だとテラハに出演していた木村花さんの自殺がとても印象的でした。もっとなホットなトピックとしては最近自宅での死亡が確認された三浦春馬さんももしかすると、ネットでも誹謗中傷が関連しているのでは?といった説も見受けられます。

 

なぜ誹謗中傷を行うのか?

まず、前提として、誰も「誹謗中傷をしてやろう」とは思っていないんですね。ここは一つ大きなポイントです。あくまで、個人が個人的に特定の誰かの悪口を言っている、それだけなんです。リアルの世界や一対一の関係性では当たり前に言いますよね?

 

もちろん、度を超えた発言などは気を付けるべきでしょうが、基本的に悪口だって、表現の自由という見方もできます。さらに、ネットの誹謗中傷の厄介な点は、コメントをしている本人は得てして”正義のつもり”でやっているところです。

 

ですが、言葉の力というのは強いもので。個人の言葉がネットの力によって個々の発言が集約され、威力が倍増されます。結果としてそれが「誹謗中傷になっている」だけです。

 

個人的な「あいつ、なんか感じ悪いから無視しよ」が重なっていじめになるのと同じですよね。まぁいじめの場合は集団でグルになって意図的にやることの方が多いですけど、誹謗中傷は多くの場合は、意図的でなく発生してしまう点が特徴です。

 

誹謗中傷を無くすことは可能なのか?

結論から言うと、誹謗中傷が無くなることはないです。いじめがなくならないのと同じです。無くすには、人類からネットコミュニケーションを奪う以外に道はありません

 

もちろん、程度を和らげることは可能ですよ。例えば、よく討論番組などで話題に上がってくる「ネットのコメントを記名式にする」というのも、多少の抑制効果はあります。(とはいえ、リアル個人とネットアカウントを正しく紐付けることができるわけではないので、トレーサビリティが担保できず本質的な効果はないです。)

 

また、少女が考えた秀逸なアイデアとして話題になっていましたが、悪意のある投稿をする前に投稿確認を促すポップアップを表示することで投稿率が下がったという事例もありました。これも簡単だけど良い方法ですね。

 

他にも方法はあるかもしれませんし、様々なところで対策は取られているとは思います。しかしながら、どんな方法も程度を下げるだけでゼロにはならないでしょう。

 

本当の問題は何か?

ここで少し考えて欲しいんですね。「誹謗中傷を無くすこと」が本当の問題解決なのか、と

 

違いますよね。本当の問題は、誹謗中傷にあった人が死なないことです。そりゃあもちろん、誹謗中傷自体無い方が良いに決まってますよ。でもそれは無い方がベターなだけで、何が何でも防ぐべきなのは、誹謗中傷で傷ついて自殺する人を無くすこと、その一点のみが本質です。

 

「ん?それって誹謗中傷を無くすのと何が違うの?」って思われた方。そういう方は、こんな風に考えてみれば違いがわかるのではないでしょうかね。「誹謗中傷で傷ついた人は皆自殺している。これは正しいか?」

 

もちろん正しくないですね。つまり、誹謗中傷を受けても死なない人はいるということで、人が誹謗中傷を受けてから死に至るまでにはいくつかのプロセスが他にあるってことです。

 

例えば、マーケティングの分野ではカスタマージャーニーとかAIDMAとかAIDASとか、色んなフレームワークによって、人が購買に至るまでの各プロセスにおいてどんな施策を打つのが効果的か?ということを考えたりしますが、今回のようなケースでも応用することができます。そして、プロセス全体に目を向けることが重要です。

 

どのように誹謗中傷、そして死に至るのか? 

結論から言うと、下記のプロセスです。

  1. 有名になる
  2. 正義に反する言動をとる
  3. 誹謗中傷を受ける
  4. 誹謗中傷について気にする
  5. 相談できる人がいない

 

1.有名になる

前提として、誹謗中傷がどのように生まれるのか、を考えてみると、実は対象が有名人であるケースが圧倒的です。有名じゃないと批判が集中しないために、誹謗中傷ではなく、ただの悪口止まりになる、ということです。なので、有名でない人はそもそも誹謗中傷を受けるところまでいきません。

 

2.正義に反する言動をとる

また、ただ生きているだけで批判を浴びるかというと、それも違いますよね。必ず当人が何かしらの引き金を引いています。具体的には、特定の誰かを不愉快にする発言、何か一般的な正義論に反する言動、などがキッカケになっています。。木村花さんのケースもテラハ上の態度などに問題があったのでは、という意見もありましたね。

 

3.誹謗中傷を受ける

誹謗中傷が実際に発生し、そしてそのことについて本人が認識をするのがこのプロセスです。

 

4.誹謗中傷について気にする

そうして誹謗中傷を受けてしまった時、ここがまず大きく分かれるポイントですね。誹謗中傷を気にする人、と気にしない人がいますよね。例えば、炎上商法を売りにしている人はむしろ誹謗中傷を楽しんだりしている一方で、心を痛めて病んでしまう人がいる、というわけです。

 

5.相談できる人がいない

辛くなったときに相談できる人がいれば他人が止めたり保護したりできるはずです。でも、適切な相談相手がいないと、視野狭窄に物事を捉えてしまい、他者が介入することができません。

 

と、このように問題を「誹謗中傷から死に至ること」として定義すると、 誹謗中傷を無くすことだけに注力するのはナンセンスであることがわかります。

 

有名人に求められる心構えとは?

かつて、有名人というと、テレビによく出る人とイコールだったし、テレビに出るためには芸能事務所に所属して下積みを積んでから、というのが当たり前のレールだったはずです。

 

しかし、今有名人というと、別にテレビにでる人だけではないですよね。それどころか素人に毛が生えたぐらいでも、面白いコンテンツを生み出すこと"さえ"できればインフルエンサーになれる時代です。

 

別に面白いコンテンツを生み出すことが簡単だと言っているわけではないです。ただ少なくとも、”人間的な成長”とか”社会人としてのお作法"なしに社会に対して影響を与えられる時代だということです。

 

逆に現代のような双方向コミュニケーションが成立している時代の中では、社会から受ける影響も大きいということでもあります。昔は芸能事務所が少なからず担っていたであろう、有名人として生きていくために必要なことの教育が無くなった結果、自らの影響力や世間への配慮、自分が置かれている状況を正しく理解できないインフルエンサーが現れているのではないでしょうか。

 

例えば、その中で誹謗中傷への対処法や考え方などを共有、啓蒙していくことは4.への対策になりえます。実際ほとんどの芸能人は必ず何かしらの批判を浴びているでしょうし、要は心構えの違いなのでは、ということですね。

 

インフルエンサーを守る仕組みが必要

5.への対策としてはインフルエンサー専用の相談機関などがあっても良いのではないでしょうか。インフルエンサーは増えてきていても割合では少ないはずですし、一般人には理解されない気持ちだと想定すると、そのような専門機関が相談役を担うべきではないでしょうか。SNSなどの双方向メディアが発達していくことを考えれば必然な流れな気もします。

 

結局、個人個人への働きかけなどでは解決しません。いかに仕組みとして機能させていくかが重要です。

 

一般人としてできることは?

最後におまけですけど、一般人の立場として心がけるべきことは何かあるのでしょうか。正義の危険性を認識する、正義を無闇に振りかざさない、求められていない人に助言をしない、いろいろあります。でも全て、表現の自由の前には無力です。だって、「私はこれはいけないと思います」と表明しただけで、それが誹謗中傷になるんですから。

 

なので、レトリックを学びましょう。

 

日本教育では、修辞学を学ばないのですが、実はコミュニケーションをする上で表現方法というのは非常に重要です。それはもちろん、人に正しく意図を伝えるためにも必要だし、言いにくいことをいかに不快に思われないように伝えるか、など、様々な場面で役に立ちます。

 

ネット上で、激しい言葉しか使えない人間は大人になってから勉強をしていない知性の無い人だと言われても無理はありません。本当に相手のためを思ってとか、憎悪以外の気持ちで自分の意見を投稿するのであればなおさら、レトリックを大事にして欲しいと思います。