∑考=人

そして今日も考える。

今いる居場所への貢献度を挑戦しない言い訳にしていないか

自戒の意を込めて。

 

ついにうちの担当にも新入社員がやってきてしまった。つまり私が先輩になったというわけであり、教えられる側に加えて教える側に回ったということを意味する。光陰矢のごとしで、月日が経つスピードには本当に恐怖を感じる。

 

今日は新入社員に色々と私の方からもシステムの概要などについて説明を行なった。他人に説明ができるということは曲がりなりにも様々なことを吸収してきた証なのかなとも思う。

 

実際、最近はほとんどの仕事はある程度自分の裁量のもと進めている。自分が担当の箇所の細かい仕様については私が一番把握している、といったところだろう。(というか私しか作業者レベルの担当がいないからだが。)

 

しばらくこういう状況が続いていくと、その分野での仕事をすることがチームに対して一番貢献できる、という状態になる。今も少しずつそうなりつつある。

 

一つの見方をすれば、これは良いことである。よく新人の時に沢山の偉い方が口を揃えて言っていたことの一つとして、自分の強みを見つけなさい、という言葉があった。つまり、これは自分がチームに対して大きな貢献をするためには究極的に自分にしかできないことを見つける必要がある、ということであり、今の私は今に限りではあるもののそういう状態になっていると言えるからである。

 

ただし、私がまだまだ育成期間にある、ということを加味すると、これは必ずしも良いことではなかったりする。というのも、今の仕事をするのが自分がチームに対して一番貢献できるということは、自分が新しいことをしない言い訳として有効に機能してしまうからだ。

 

例えば、私は今PM層のミーティングには呼ばれない。もちろん、若手社員は基本的に呼ばれないのが通常ではあるが、私の課長はそういう場に若いうちから参加した方が良いと考えている。(私の課長とプロジェクトのトップは別の人である。)それはいずれ、我々がPMとしての視点で仕事を進めることを余儀なくされるからである。

 

ただし、実際問題として、私がそんなPM層のミーティングに出席するよりは、もう少し低いレイヤー、重要度の低い仕事に専念した方がプロジェクト全体に対してより貢献できる事実がある。だからある意味、私がそんな会議に出席しない方が合理的なのだ。課長にはそういう弁論をした。

 

でも、これはたぶん言い訳なのだろう。

 

昔、アルバイトをしていた時に、実は同じような問題に直面したことがあった。パチンコ屋のアルバイトは一般的にはコース単位に人が割り当てられて仕事をするような仕組みになっている。ただし、各コースによって忙しさはマチマチである。中にはとんでもなく忙しいコースがあるものだ。

 

すると、忙しいコースを担当させられる人の顔ぶれはほとんど変わらなくなる。能力的に対応できる人が少なかったからである。あるいは能力値の高い人が忙しいコースを担当するのがチームとしては一番合理的だからである。

 

ただ、それはまさに木を見て森を見ずではないかと指摘したのが他でもない、当時の私だった。今日一日だけ営業をするのであれば、もちろんそれでも構わない。というかそれが正解である。しかし、今後営業を続けていくのであれば、結局人の成長を加味した上で最適解を検討しなければならないのである。

 

仕事のできない人が忙しいコースを見ると全体に迷惑がかかる、なんて発言をするのであれば、そもそも新人を雇わなければいいのである。それでも、新人を雇うのは、将来的に成長して、貢献をしてくれることを期待しての投資であるはずなのだ。今の犠牲の上に将来の希望の種を植える、といったところだろう。

 

確かに1年間も経験を積めば、それなりにできることは増えてくる。身につけた能力を活用できるのもそれなりに面白いはずだ。しかし、今その能力をフルに活用して出来る貢献などたかが知れているのも事実である。そんなちんけな貢献を言い訳に新しいことに取り組むことをやめているのだとしたら、それは成長をストップさせるだけである。

 

組織の中で成長するためには必ずチームに迷惑をかける必要があるし、迷惑をかける罪悪感と戦う必要がある。近年の若者は遠慮しがちであるとよく耳にするが、結局他人に迷惑をかけることをひどく恐れているのであろう。遠慮しなくていい=迷惑をかけていいと捉えるべきなのだ。誰かに迷惑をかけることなしに成長はない。