∑考=人 〜プロメテウス〜

そして今日も考える。

考えるのが嫌い、は本当か?

私は考えることが好きです。ブログのタイトルにもあるように、考えたことの蓄積が今の自分を作っているのだと思っています。たとえ考えているだけでは何も蓄積されないにしろ、考えることはそれ自体楽しいことだとも思います。

 

私が考えることが好きだというと、多くの人から白い目(?)で見られます。どうも多くの人は考えることが嫌いなようです。結局、私は考えることが好きなタイプ、その他大勢は考えることが嫌いなタイプ、という風に分けて考えられるのが一般的です。

 

断っておくと、私は考えること全てが好きなわけではありません。どんなことにも例外は存在します。特に「考える」とは多岐に渡る意味合いで使用されますから、何でもかんでも考えていれば楽しいわけではありません。どんなに考えることが好きな人間でも考えたくないこともあるのです。

 

例えば、私はお金のことを考えるのが嫌いです。今月の給料はいくらで、貯金がいくらだから、来月までにどのくらいのお金を使ってもいいのか、みたいなことを一々考えるのが嫌で嫌で仕方ありません。自称考えることが好きな私は、考えることを避けるために、人より給料の良いアルバイトをしています。

 

逆もまた然りです。考えることが嫌いだという人はたくさんいます。ではなぜでしょう。スロットで台を選ぶときは顔が生き生きとし、出かける前に洋服のコーディネートを選ぶときにはワクワクし、映画エヴァンゲリオンの今後の展開を予想するときは、楽しそうに語り合う。そう、考えることが面白いからに他なりません。

 

就職活動中に、とある企業の人事部長がこんな話をしてくれたことがあります。麻雀が好きだという学生に対する言葉でした。

 

「君は麻雀が好きだと言った。では例えば、君が麻雀をするとき、君の後ろで全ての指示を出してくれる人がいるとしたらどうですか?それでも麻雀が楽しいと思いますか?」

 

もちろん、楽しくないと学生は答えました。なぜ楽しくなくなったのでしょうか。指示が与えられることにより、考える必要のないものになったからです。考えなければ麻雀はただの作業でしかありません。逆説的に、考えることこそが楽しいと認識していたことに気づけるはずです。

 

実は誰しも考えることが嫌いなわけではありません。嫌いであるとすれば、それは「考えること」ではなく、「考えさせられること」でしょう。生きていれば、考えなければならないことはたくさんあります。そして、大人になるにつれ、どんどん増えていきます。そして、その多くは、決して自分自身が本当に考えたいことではないものです。

 

私はお金のことを考えるのが嫌いだと述べました。これもお金のことを考えるとき、それは考えているのではなく、考えさせられているからです。使役動作なのでつまらないのです。

 

そして、考えることが好きになれない理由はもう一つあります。それは考えるために必要な知識が全くないからです。例えば、麻雀のルールをほとんど知らない人が麻雀をどんなに考えても面白いとは思わないでしょう。そもそもルールを知らなければ考えようがないのです。

 

それに対し、女性達が洋服のコーディネートを考えるのが好きなのは、どんなコーディネートがオシャレで、今どんな服装が流行っていて、どの色とどの色を合わせると良いのか、というベースの知識をある程度把握しているからです。

 

得てして、創造性を発揮できる時に人は楽しいと感じるものです。創造性を発揮するとは、最低限の知識を身に付け、それを基に考えることを指します。自分が考えることが嫌いなタイプだと決めつけずに、人の話を聞いたり、本を読んだりすることで、知識を増やせば、何か気になることが出てくるかもしれまえん。気になる気持ち、それこそが考えることのスタートなのです。