∑考=人

そして今日も考える。

苦労話

私の持論として、自分の苦労話や経験マウントをする人間ほど、実は全体で見ればありふれた経験しかなかったり、単純に話し相手よりも少しだけ人生を進むのが早いだけだったりすることが多い。

 

例えば、進学校の生徒がよく言う「受験勉強が一番大変だった」とか、大学院のときに死ぬほど言われた「まだ学生で羨ましい、社会人は大変やで」、とか、「転職すると評価がゼロになるから大変だよ」とか、「結婚したら地獄だからやめといた方がいいよ」とか、年頃の女性の会話にある「子育ては本当に大変だわ。夜泣きが酷くて。」とか。

 

うん、もうその話どっかで聞いたことあるから笑。

 

そんな冷めた目線で見ているので、私はたまに自慢話をすることはあっても、苦労話をすることはない。はず。そもそも本当にあんまり苦労したことがない。むしろ生きるだけでずっと苦労しているつもりなので、特定部分を切り取って苦労話にすることができない。あるいは、他人と比べて自分の方が明らかに苦労してきたと胸を張って言えるような苦労話がない。

 

中学の時に親父が亡くなっていることは相対的に見れば珍しい経験には該当するけど、別に親父がいないから苦労したと思ったこともない。冷静に考えればもっと楽に生きれた可能性はあったかもしれないが、親父がいた人生と比較できないからわからない。母親に死ぬほど苦労をかけたのは間違いないけど。

 

「受験勉強で苦労した」と思ったこともない。僕は「腰を据えて取り組めることができてよかった」と思っている。逆に高校生で受験勉強をせずにそのまま給料の安い仕事に付くしかないことに気づきながら毎日を過ごす方が一苦労だったかもしれない、とさえ思う。

 

逆に大学院生活は確かに楽だけど、人から思われているほど楽ではないとも思う。研究室によっても全然違う。先に社会人になっただけで見下してくる人はいたけれど、そういう社会人のほとんどは大学院なんて行った経験がないのに、なぜ社会人の方が大変、と当たり前のように言えたのだろうか。

 

「苦労は買ってでもしろ」みたいなことわざがあるけど苦労なんてしない方がいいに決まっている。どちらかというと一般的に苦労と呼ばれる経験の中で「いかに苦労をしないか」を考えたり学ぶことに真の価値があるんでは。

 

例えば、ずっと残業時間が長い職場環境で働き続けるのは確かに苦労だ。でもただただ長時間残業に耐え続けた経験ははっきり言って別に優れた経験でもなければ人生を豊かにする経験でもない。何の役にも立たない「おれは長時間残業に耐えられる人間だ」という自身が手に入るぐらいだ。

 

それよりは長時間残業という苦労から抜け出すためにどうすればいいのかを必死で考えて試行錯誤をする。自分のスキルを向上させるための自己啓発をする、そもそも不要な作業がないかのタスクの見直し、無駄な会議や無駄な報告が含まれていないかチェックし、そういった改善案を上司に提示する、それでもだめなら異動や転職をする、など。

 

常に苦労をしないように考え続けていると、結果的に苦労の度合いは減ってくることが多い。(もちろん、自分の努力だけでは避けられないケースもある。)だからそういう生き方をしている人はあまり苦労話を多く語らないイメージがある。苦労の中で苦労しない方法を学んでいるからだと思う。

 

これに対して苦労話をしょっちゅうする人間が、現状の苦労から抜け出すための試行錯誤を何もしていない。ただひたすら我慢することが美徳だと思っている。でもずっと苦労はしているから精神的に辛く、誰かに共感してほしいあまり苦労話をしてしまう。よりによって、そういう苦労をまだ経験していない人に対して。

 

でもな、もうその話どっかで聞いたことあるから笑。