∑考=人 〜プロメテウス〜

そして今日も考える。

心のフィードバックは定期的に

1.000001は1とほとんど同じであるという意味で、1.000001≒1と表現されます。いわゆる近似式です。多くの数式や理論の確立には近似式が成立する、すなわち「≒」を「=」として(1.000001=1として)考えることで導出されるものがたくさん存在します。というか、難解な理論になればなるほど、近似式を取り入れないとスッキリとした形で表現できないものの方が多かったりします。

 

しかし、この近似式を正しいと仮定してしまうと、1.000002=1.000001となり、同様に1.000003=1.000002も正しいことになってしまいます。これを延々続けて「=」で結べば、2=1.999999=1.999998=・・・=1.000001=1、すなわち2=1となってしまいます。これはどう考えてもおかしいですね。

 

このおかしさは、ソリテスパラドックス、砂山のパラドックスなどと言われています。砂山から一粒砂を取り除いても残ったものは砂山ですが、その作業をいつまでも続けていき、最終的に一粒だけが砂山に残った状態になっても、それを果たして砂山と呼べるのか(いやそんなわけねーだろ)、という矛盾のことです。

 

もう定番のフレーズになっていますが(笑)、これは数学の世界に限った話ではありません。私たちの感情も刻一刻と少しずつ変化しています。

 

例えば、今日初めて、ボルダリングをして凄く楽しいと思ったとしましょう。ちなみにボルダリングとは、リア充が大好きそうなロッククライミングチックなスポーツです。すると、あなたの心に「ボルダリングは楽しいことだ」という教訓が刻まれます。

 

それがきっかけとなり、1年間ボルダリングを続けたとします。すると、昔ほどワクワクしなくなったり、つまらないと感じる人もいるでしょう。楽しいはずなのに楽しくないという矛盾を抱えてしまう人もいるかもしれません。

 

私はよくこういった矛盾を抱えることがあります。毎日友達と遊んでいることが楽しいはずなのに楽しくなくなってしまったり、バスケットボールこそが最高に面白いと思っていても、そうではなくなってしまったり。

 

逆もまた然りです。あんなことは何一つ面白くないものだと一度心に刻み込まれたにも関わらず、時間を置いてやってみると凄く面白かったり、こんな奴と付き合うのは一生ゴメンだと思っても、時間が経ってみると、やっぱりその人を求めたり。

 

自分が感じた気持ちはその瞬間に「=」として心に刻み込まれます。そしてその気持ちが長く続けば続くほど、より強固な「=」になっていきます。また、衝撃的な経験などをキッカケにより学んだ教訓というものも大きな「=」として定義されます。例えば、私の場合は留年をキッカケに自分自身や先のことをもっと考えなければならないと強く思いました。

 

でもそれはその時点における「=」にすぎません。時間が経つにつれ、1が1.000001、1.000002へと変わっていくように、「=」は「≒」に変わっていきます。だとしたら、昔の自分が定義した「=」が現時点で「=」と仮定して本当に良いのか、一度疑ってみる必要があるのではないでしょうか。砂山からいつまでも砂粒を取り除いてしまえば、いつしか砂山ではなくなるのです。

 

行動を習慣化すると、無意識レベルでその行動ができるようになる反面、思考を停止してしまいがちです。特に、楽しいと思っていることは習慣にしやすい一方で、一旦習慣になってしまうと、本当はそれほど楽しくないにも関わらず、その行動をいつまでも続けてしまうことになります。今の自分にとっては格別楽しくもないことを、楽しむために続けている、という本末転倒です。

 

これを防ぐためには、心のフィードバックを定期的にしてみる、ということです。感情の変化スピードは人によって異なるかとは思いますが、一度昔の自分の信念などは脇に置いておいて、今一度自分の心の声に耳を傾けてみる必要があります。昔の自分が完全に否定した考え方や、完全に正しいと信じ込んだ教訓、また、自分自身はこういう人間だというキャラ設定が、本当に今の自分に合っているのか、と。

 

もちろん定期的にフィードバックをしたからといってその違いに気づける保証はありません。むしろ、少しずつ変わりゆく心情の変化を察知するのは並大抵のことではないでしょう。ならどうするかというと、私の場合は、今の自分の感情や思考こそが真実だと考えます。

 

ブログを読み返して思いました。私の言っていることは時期によってバラバラだということに。全部が違わないにしても明らかに考え方が違ったり、昔は否定している考え方を肯定したり。そして、この先もそうやって価値観変わっていくと思います。

 

よく、常識に囚われるな、と社会では言われますが、世間の常識だけでなく、自分の常識を疑うという意味でも、昔の自分の思考や感情を鵜呑みにしてしまってはいけないのだと思います。社会的に意見をコロコロ変える人は印象が悪いですし、昔の自分を全否定するような考え方を受け入れることは本当に難しいことです。

 

しかし、人というのは、「今、その瞬間を生きているその人」として定義することしかできません。だとすれば、過去の自分を否定しないために今の自分を偽るのではなく、今の自分の本当の心の声に従った行動をとるのが1番いいんじゃないでしょうか。

 

人と喋るのが嫌いだとか抜かしていた私が、今日女性の美容師とのささいな雑談の中で感じた楽しみから、再び認識した教訓です笑。