∑考=人

そして今日も考える。

結局、宗教って何だろう

友人達のツイートに宗教の議論を発見したので、宗教についてちょっと書いてみようと思います。プレゼン資料作成に夢中で議論に入れなかった憂さ晴らしです笑。

 

ちょっと私の経験談を語ります。大学4年のときの研究室に(出身国がどこだったかは忘れましたが)イスラム系(かも定かではないが笑)の留学生がいたんです。で、私たちがその研究室に配属されることが決まったとき、歓迎会を開いてもらったんです。普通に居酒屋に行きました。

 

で、そのときにイスラム系の彼も来ていたんですけど、なかなか宗教の信仰が厚いようで。宗教に入っているからお酒は飲めないし、肉は豚も鳥も牛も食べれないとか言うんです。で、ずーっと野菜と魚ばっかり食べてました。その姿を見て、ただただ哀れに感じたのを覚えています。

 

個人的には昔から宗教なんか要らないとずっと思っています。特に、日本人のように本質的に無宗派の人が大多数を占めると、宗教という言葉自体にあまり良いイメージを持ちにくいものでしょう。でも、世界的に見れば、何かしらの宗教に属している人の方がたぶん多いだろうし、その歴史の長さを考えても、宗教が存在することのメリットは必ずあるはずなんですね。短絡的な発想なのかもしれませんが。

 

よく言われるのが、宗教という、人間の理解を超越したものが救いになるという考え方です。根拠のない自信を持っている人間は強いとか言われるのと同じでしょう。失礼を承知で言ってしまうと、宗教に頼るのは、愚かで弱い人間だと私は思っています。ただ、それが人間の弱さを完全に受け入れたからこその行動だとしたら、むしろ愚かなのは私の方なのかもしれません。

 

実際、私の友人関係の中にも宗教への信仰で大病を乗り越えた家族を持っている人もいます。散々勧誘を受けました。宗教は時に、奇跡を起こす力があるのでしょう。それ自体は私も信じています。でも、それは信仰が大事なのであって、信仰するための媒体が宗教である必要はないのだと思います。たまたまその人は宗教を信じられる人だった、という話です。まぁ信じられる人は勝手に信じて下さいという感じです。

 

逆に、宗教の悪い面を考えてみます。1番に思いつくのは、差別や戦争につながることでしょうか。確かに宗教がなければ宗教がらみの争いは無くなりますが、宗教が根本的な原因ではありません。本当の原因は、自分自身だけで閉じるべきである絶対的信仰を他者に強要してしまうことです。

 

絶対的信仰があるから自分が絶対正しいという感情を生み出します。特に宗教のように偏った考え方に縛られているとなおさら排他的な思考に陥りやすいはずです。するとそれと異なる人間は間違った人間という解釈に繋がり、排除しようとしてしまう、それが争いの発端です。宗教の影響は大きそうですが、かといって宗教だけに限った話ではないんですね。

 

また、宗教は非科学的だという理由で批判する人もたくさんいます。そういう人たちはもう少し科学についてお勉強してください。科学のほとんどは仮説でしかないということに気づくでしょう。ニュートンの法則だって、この先絶対に正しい理論であり続ける保証はないのです。こう考えてみると、科学だけは信じられるというのも実は立派な信仰です。

 

同様に神様がいる、いないという見解も仮説に過ぎないのです。誰も神様がいることを証明できないし、神様がいないことを証明できない。どうせ調べられないのだから信じたい方を信じればいいと思います。もちろん、合理的に考えてそれらしい証明が確立されている科学の方を私は断然信じますけど。でもそれが正しいのではなく、私がたまたまエビデンスが多い方が信じられるタイプの人間という個性の一つです。

 

おわかりのように、私は宗教について何らこだわりを持っていません。ただ、周囲に対して提言するとすれば、宗教ではなく自分の哲学を持とう、の一言に尽きます。なんかカッコつけてるみたいですが。

 

私はたまたま宗教から疎遠な国に生まれたから宗教について割と自由に考えることができるのかもしれません。だから簡単に偉そうなことを言ってしまえるのも事実です。でもどんな場所に生まれたとしても、その場所ならではの小さい宗教があると思います。自分の家限定のよくわからないルールや縛りはどんな家庭にも一つや二つあるんじゃないですか。

 

皆それを訳もわからず正しいことだと思い込んでいます。でも、環境が変わるにつれて、実は間違っていた、別の方法があったなど色んな気づきが必ずあるでしょう。自分の当たり前が人にとって当たり前ではない、なんてよくある話です。

 

じゃあ違う考え方の人と出会った時にどうするのか、ですよね。宗教的な考え方だと、自分の絶対性を保つために相手を排除しにかかってしまいます。でも相手を否定したところで因果応報、たいていは自分自身に返ってきます。そうやって自分の経験から正しい間違いは模索していかないといけないのではないでしょうか。

 

宗教に関して気に入らないことがあるとすれば、アップデートされないこと、そして、救世主だか奇跡の人だか知りませんが、所詮は他人が決めたルールに過ぎないことです。やっぱり生きていく上では自分なりのルールで生きた方がいいんじゃないですか。だからこその自分の哲学。大切ですよ。

 

結局、宗教って自分の中の哲学の一つの形なんですよ。無宗派の人はオリジナルで自分の哲学を作っていける人、宗教に属する人は他人の哲学の猿真似をする人。それだけです。私も自分の哲学が完全に信じられなくなったときは宗教に頼るのかもしれません。そうならないためにも、生きていく中で哲学をアップデートし続ける必要があるんでしょうね。