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∑考=人 〜プロメテウス〜

そして今日も考える。

友達になれる人、なれない人

今日はクラスが変わった。私の会社は研修中にクラスが2回変わる。要するに一人が3つのクラスを掛け持ちするシステムになっている。せっかく前のクラスに溶け込み初めていたのだけど、今日からはまたしばらく新しいクラスとなる。

 

当然のごとく、今日も飲み会があった。参加率は8割超えだ(みんなスタートが肝心であることを心得ている)。私ももちろん参加した。お酒さえ飲んでいればそれなりに積極的になれるし、それなりに面白いことも言えるものだ。

 

今回のクラスも割と仲良く(?)なることはできたと思う。ただ、心の奥底ではこの人脈構築ゲームが結構めんどくさいと思ったりする。とりあえず全員と絡むようにはしているものの、次の日も普通の友人のように接することができるのは一握りである。

 

正直なところ、私の中では仲良くなれるのか、なれないかに大きな要因を与えるのは何と言っても第一印象である。ひと目見た瞬間に、この人とは仲良くなれそうかそうでないかを脊髄レベルで判断してしまっているのだと思う。

 

もちろん、そういった偏見に囚われずにコミュニケーションを取るようにはするのだけど、いくら共通の話題があっても、会話が盛り上がったとしても、それは仮面を被った私でしかないので、結局のところ、この人とは仲良くなれそうにない、という結論が出てしまう。

 

とは言え、逆のパターンもある。仲良くなれそうだと思っていたのに、実際に話してみると、空気感というかノリのようなものが異なる場合だ。この歳ぐらいになると、見かけはイケイケなのに中身は(同姓目線で)つまらないと感じてしまうことが多々ある。

 

具体的なことで言うと、もう少し若い頃は「タバコを吸う」というだけで分かり合えるぐらいの慣性力があったのだが、この歳ぐらいになると、一言にタバコを吸う人と言っても多様性が顕著だ。「タバコを吸う」というだけで仲良くなっていく同期たちを横目に、コイツは本来タバコを吸うべき人間じゃなかったんだろうな、なんてことを考えている。(私もたぶん本来タバコを吸うべき人間ではなかったのだろうが。)

 

こういったバイアスをできるだけ排除したいのだけど、中々難しい。普通に円滑なコミュニケーションを測ることはできるようになっただけ成長したとは思うけれども、結局友人にはなれない。しかし、そのくらいの方がちょうどいいのだろうと半ば割り切っているし、そうするべきなんだとも思う。

 

そうは言いつつも私はギャップのある人間を探している。第一印象では仲良くなれるはずもないと思っていたのに、喋ってみると凄く馬が合う、という友人はだいたいが凄く仲良くなれる。私が仲良く慣れるのは、平たく言えば、尊敬と軽蔑が入り混じった感情を持てる人なのかもしれない。

 

別に同期の悪口を言いたいわけでも、人間関係に悩んでいるというわけでもないのだが、最近はこういった思考ばかりが働いてしまう。結局のところ、友人として仲良く慣れる人が欲しいという気持ちがあるからなのだろう。ビジネスにおいて正しい人間関係とは何なのだろうか。