∑考=人 〜プロメテウス〜

そして今日も考える。

レールに乗った人生

振り返ってみると、今までの人生で様々な決断をしてきたものだな、と思う。その一つ一つの決断があって今の自分がいることは間違いない。

 

 

 

ただ、私が思うのは、所詮自分が今までしてきた決断は全てタイミングが決められていた、ということだ。どこの高校に行くのか?どこの大学に行くのか?就職にしてもそうだ。もちろん、どこを選ぶか、という選択をする必要はあった。しかし、いつやるのか?ということに関しては、特に何も考えずに済んだ。なぜなら、みんながやり始めるタイミングが決まっていたからだ。「みんながやっているから」という強制力はモチベーションとしてかなりのウェイトを占める。

 

 

 

もし仮に入試のタイミングを選べたとしたら?もし仮に就職のタイミングを選べたとしたら?就職はおろか、大学にすら行けていなかったかもしれない。タイミングを見極めることこそが決断の最も難しい部分なのだ。おそらく、普通に大学へ進学し、就職までした人はこのタイミングの見極めができない。

 

 

 

そういう意味では、今までの人生はレールに乗った人生であった。このタイミングで上に上がる、このタイミングで右に曲がるということがあらかじめ決められている。分岐点があったとしても、その場所はやはり決まっている。この価値観のまま就職してしまった人は、もう曲がり角もなく、上り坂もないレールの上をただただ走り続けていくのかもしれない。

 

 

 

一方で、フリーターの人などは、このタイミングを見極めるのにかなり苦しんでいる。例えば、4月になったら正社員として就職すると意気込んだとしても、それを決めているのは自分自身だけだ。そして、機が熟してた時に同じ気持ちでいられるとは限らない。やっぱり8月にしよう、と決断を先延ばしにすることもできる。同じタイミングで実行する人は他にいないのだから、同調圧力もない。決断をするもしないも完全に自由なのだ。先延ばしにしてしまう程度の気持ちだったと割り切ることも可能だが、人間の意志はそれほどに弱いのも事実である。

 

 

 

内定式に行って感じたのは、沢山の同期とあまり親密になり過ぎると、「みんなやらないから」という理由でレールから抜け出る道を見捨ててしまうかもしれないな、という焦りだった。働く前から辞めることを前提に考えるのはあまり良くないかもしれないが、タイミングだけは見誤らないようにしたい。