∑考=人 〜プロメテウス〜

そして今日も考える。

伝統を守る必要はない

パチンコ店は総じて身だしなみの規則が厳しい。そして、大きな会社になるほどその傾向は強くなる。これはパチンコを接客業として位置付けるための戦略なのだろう。私が今まで働いてきたパチンコ屋はすべて、男性は、茶髪禁止、長髪禁止、ピアス禁止、ひげ禁止が当たり前であった。ちなみに坊主頭も禁止になっている店が多い。何でも、何か悪いことをして罰を受けたような印象を客に与えてしまう可能性があるかららしい。いったいいつの時代の文化を大切にしているのか疑問だ。

 

身だしなみは確かに大切であると思う。パツキンロン毛よりも黒髪ショートの男性の方が良い印象を与える。ひげも生えていない方が清潔感があるに決まっている。そして、人と接するときに、第一印象は極めて重要であることは様々な文献により明らかだ。

 

でもこれは一種の差別である。例えば、海外には地毛でも金髪の人がいる。その人は金髪だからと言って、接客をする資格がないのだろうか。そんな社会ではいけないと考えるのがまともな倫理観であろう。もちろん、ほとんどの日本企業が海外の学生の採用枠を少なめに設定しているのも差別同然である。ただ、日本人はそういった差別には無関係どころか、その差別があるおかげで恩恵を受けている側なので、その点について問題意識を持つことは少ない。むしろ、ユニクロや楽天のように海外枠が増えることの方に問題意識を持っている。

 

髪の毛の話に戻ろう。私は地毛が少し茶色い。ネコっ毛なので、光が当たると茶色く見える。もう5年以上髪の毛は染めていないのだが、今でも染めていると勘違いされることがよくある。そんなわけで、上司から黒染めをするように言われてしまうのだ。少し面倒ではあるが、今さら黒染めをしたくない、という気持ちも特にないのだが、とりあえず今はその注意を無視している笑。

 

私が気に入らないのは、「地毛でも茶色いのだから黒染めしろ」という考え方である。あなたの生まれや育ちに関わらず結果として髪の毛が茶色いのだから黒染めしなさいというわけだ。確かに、茶髪よりも黒髪の方が良い印象を与える(と店では定義されている)。だとすれば、地毛だから茶色くても許されるという考え方は甘えという見方もできるのだ。もし私の髪の毛が真っ黒だったらそういう考え方になっていたのかもしれない。

 

でも私は髪の毛が茶色いので、残念ながらその考え方には賛同できない。この考え方は極端に言ってしまうと、「ブスだから整形しろ」という考え方と同じなのだ。ブスよりも美人の方が第一印象がいいのだから、生まれつきブスだから仕方がない、で済まされるという考え方が甘え、ということになる。非人道的と言わざるを得ない。しかし、この世の圧倒的多数がイケメンと美女だったとしたら、ブスは整形しなければならないというルールが接客業で適応されていた可能性は十分にあるだろう。

 

多くの人は、小学生ぐらいの時に、部落出身者が社会的な差別に合っているという話を聞いたことがあると思う。牛を殺していただけで(という言い方をすると少し語弊はあるが)、しかもその人たちが直接そうしているわけでもないのになぜ差別されるのか、疑問に思ったのを憶えている。

 

会社側が部落出身者を採用できない理由として語られていたのは、「部落出身者を雇っている会社」として顧客たちから認識されてしまうから、というものだった。その言葉の後には、「私たちも差別する気はないのだが」みたいな言い訳が隠れていたように思う。いじめられたくないからいじめる側になる、という発想は生きている限り無くならないのだろう。

 

つまり、会社としては顧客が望むなら望む通りにするしかないのだ。多数の顧客の要望で、外国人の営業が嫌だと言われてしまえば、その会社は外国人を雇うことは難しくなるし、黒髪が良いと言われてしまえば、地毛かどうかなど関係なく黒髪でない人は雇わない方針になるだろう。社会が理不尽な存在になっているのは、顧客や消費者としての側面を持つ我々そのものが理不尽だからなのだ。

 

ただ、時代が変われば常識は変わる。大昔の顧客の要望と今の顧客の要望が同じであるはずがないのだ。私たちがバリバリ仕事をするくらいには、部落出身者を雇っている会社だから嫌、なんて考える人はほとんど残っていないように思う。同様に、社会人が髪の毛を少しくらい茶色くても、それを不快に感じるような人たちも少なくなっていくはずだ。

 

結局、それらの規律とか慣習を日本人は伝統という崇高な響きを利用して残そうとするため、差別の風潮も残っていくことになる。こういう不必要な差別による犠牲者を減らすためにも、風習や規律は変えていかなければならない。誰も望んでいない伝統をただひたすら守ることには何の意味があるのだろうか。色んなことを変えていった挙句に残ったものこそ伝統と呼ぶに相応しいはずだ。