∑考=人

そして今日も考える。

結果に言い訳する奴はプロになれない

今回は言い訳の話です。私たち人間は、自分に都合の悪い自体が起こるとついつい言い訳をしてしまいがちです。かと言って他人の言い訳には厳しい。例えば、電車が遅れたり、渋滞のせいで遅刻したとして、「電車が遅れたから遅刻しました(だから私のせいじゃありません)」みたいな態度をとれば社会的には許されないでしょう。

 

しかし、渋滞で遅刻してしまった人が果たして自分が悪かったと心から思えるものでしょうか。私は思えません。というか思う必要すらないと思っています。もちろん、失敗や過失の原因は必ず本人にもあるので、「余裕を持って家を出なかったお前が悪い」とか「そもそも車を交通手段に選んだお前が悪い」といった言葉で失敗した本人を責めることは可能です。

 

ですが、どうやっても100%失敗を防ぐことはできないものです。問題なのは、あなたがもう二度と遅刻したくないと思うのか、たまに遅刻するぐらい仕方のないことだから別にいいや、と思うかです。ただ遅刻の場合は、相手に迷惑をかける行為なので、どのように考えているにせよ、礼儀的にはまず、すいませんでしたと謝って上で、状況説明(言い訳)をしたほうがよいと思います。

 

このように相手に迷惑をかける行為については言い訳は非難轟々のため、口をつむぐと思いますが、人に迷惑がかからない行為、すなわち自分の能力や成果に関しては簡単に言い訳をしてしまう人たちが沢山います。

 

別に言い訳をするのが悪いとは言いません。全ての結果において自分の能力を100%出せない要因は自分以外のところにも存在します。ただ一つだけ言えるのは、結果に言い訳をする奴はプロにはなれない、ということです。

 

例えば、プロのスポーツ選手が試合でのパフォーマンスが悪かった時に、ケガやコンディションのせいにする人を見たことがありません。なぜそういう言い訳的発言をしないかというと、そんな発言をすることに何の意味もないからです。言い訳が脳裏をかすめることすらないのではとさえ思えます。

 

なぜ言い訳に意味がないのか。それは自分自身がパフォーマンスを向上させたいと強く願っているからです。成長するためには、上手くいかない理由を他に探すよりも自分の中に求める方が圧倒的に効果的です。

 

それに対し、ケガやコンディションのせいにしてしまう人はどうでしょう。彼らの本当の欲求は自分自身が上手くなることではなく、周囲から上手い人だと認知されることにあるからです。今思えば、私がバスケットを続けていた理由の一つも周囲から認められたいという気持ちが大半を占めていたと思います。

 

マズローの欲求で言えば、前者は自己実現の欲求という最高位(5段目)の欲求であり、後者は承認の欲求という4段目の欲求です。この4段目と5段目の大きな差が努力で越えられない才能の壁だと私は考えています。なので、悪い結果を何かのせいにしてしまうとすれば、その分野で成功することはできないでしょう。

 

お前はいったい何のプロなんだと言われそうですが、自称受験のプロです。確かに、精神安定剤として、挑戦の前に言い訳を並べることはありました。しかし、出てきた結果に対して言い訳をしたことはありません(たぶん笑)。もちろん周囲から認められたい気持ちも大きかったですが、それ以上に自分の能力でどこまでいけるのか、そのことに1番関心があったからです。

 

もし自分自身の持つ能力や特技に本当に自信があるなら、出た結果について言い訳をして悔しさを紛らわせてはいけません。何の悔しさもなければ、その分野で勝負する資格はないので他の道を探すべきでしょう。