∑考=人 〜プロメテウス〜

そして今日も考える。

それは本当に「自分」で稼いだお金ですか?

なんだろう。大学も修了が確定し、フリーダムになったわけだが、どうも終わったような生活をしていない。相変わらずほとんど家に引きこもっているし、人と遊びほうけているわけではない。今はドットインストール見ながらプログラミングの勉強してるか、宇宙兄弟見てる。あと、適当に読書。

 

こうやって自由になってみた時に痛感させられるのが、お金のありがたみ、重要性だ。例えば、今の私には旅行に行くお金がない。積極的に自分に投資するだけのお金もほとんどない。つまり自由な時間はあるのに、自由に使えるお金がないせいで、イマイチ自由感がないのだ。そこにあるのは精神的開放感だけ。もちろん、それでも普通の人たちに比べれば、十分に自由ではあるのだが。

 

しかし、自由を象徴する行為と言えば、やはり旅行だ。大学生の多くは(社会人も、であるが)、長期休暇に入ったらここぞとばかりに旅行に行きたがる。彼ら彼女らがどんなモチベーションで旅行に行っているのかは置いておいて、一度考えてみてほしいのは、いったい誰のお金で旅行に行っているか、ということだ。

 

中にはアルバイトもしていないのに、親からの仕送りで旅行などの娯楽を賄っている人たちもいるだろう。彼らについては、あからさまに他人の稼いだお金で遊んでいるのだから、多少の自覚はあると信じて何も言及しない。

 

一方で、堂々と「自分で稼いだお金だからどう使おうが私の自由だ」と言い張る人もいる。割合で言えば、アルバイトをしている学生の方が多いはずだから、こういう思考回路を持ってしまうのも自然だはと思う。しかし、彼ら彼女らは1番タチが悪い。

 

私のように自分で学費を少なからず払ったことのある人間にとってみれば、これは本当に唖然としてしまう発言である。自分がアルバイトをして稼いだお金だからそれは私のお金だ、というのは確かに正論に聞こえるかもしれない。私だってそう考えている時期はあった。

 

これを踏まえてこんな例え話を聞いて欲しい。例えば、AさんとBさんが二人でパチンコに行ったとしよう。Aさんは中々当たらず、所持金2万円ほどの損失を抱えてしまったとする。そんな中、Bさんは颯爽と大当たりを引き当て、10箱ぐらいの出玉を放出していた。そして、Bさんは可哀想なAさんを見かねて3箱をあげた。ようやくAさんも、その3箱を使って再びパチンコを打つ。ようやく3箱目が無くなるくらいで大当たりを引き、そこから5箱分の出玉を出すことができた。

 

さて。ここでAさんは、自分が出した5箱分と引換に手にするお金を全て自分のものとしていいだろうか。このお金は全てAさんだけで使う権利のあるお金だろうか。あるいは、ここで5箱分全て自分のものだと言い張るAさんを見て、あなたは何を感じるだろうか。

 

自信を持って、「それはどう考えても全てAさんのものだ」と言える人がいるなら、私は彼らについて言及することは何もない。確かにBさんはAさんに3箱を「あげた」わけであり、Aさんに返済義務はない。だから、一つの考え方として間違ってはいるわけではない。

 

大事なのは、そんなAさんを見て自分はどう感じるのか、というところに尽きる。もし、ありえない、ダサい、などマイナスなイメージを持ったのなら、一度自分自身について振り返って欲しい。特に、「自分で稼いだお金だからどう使おうが私の自由だ」と言い張っている人なら尚更である。

 

Aさんを自分、Bさんを親、「5箱」を「学費」程度に置き換えてもらえればいいと思うが、「この5箱は自分のものだ」と言い張る人と「自分で稼いだお金だからどう使おうが私の自由だ」と言い張る人は、本質的に全く同じである。これは学生に限った話ではなく、社会人についても当てはまる。特に、親のスネをかじって生活している学生に対して腹が立つという社会人がいるが、彼らも学費や養育費全てを親に返済していない限り、同じ穴の狢であることは自覚してもらいたい。

 

偉そうなことをいった私も、多少の自覚があるだけで、彼らとやっていることは変わらない。自分で学費を払っていて偉いと言われることもあるが、大学院だけだし、留年しているし、当然、親が今まで自分にかけてくれたお金全てを返せるはずもない。まぁ学費に関して言えば、母は明確に「貸すだけ」と言っているし、いくら借金があるのかというメモさえ残っているらしいから、死ぬまでは返済しないといけないことになるかもしれない。実に恐ろしい笑。

 

さっきも言ったが、親が無償で与えたお金を返す義務は本来ない。私は無償で与えられていないため(笑)、無償で与えれている人に対して、激しい嫉妬心と怒りを覚えるのだが、それはあくまで私の個人的な感情に過ぎない。返す返さない、もちろん自覚するかしないかも、本人次第だ。ただ、こういう考え方の人もいる、という事実を認識してもらえれば幸いである。