最近はずっと地元の友人と遊び呆けていました。飲んで寝て、スロット行って麻雀して。また飲んで、みたい繰り返しです。やっと休みにありつけました。非生産的な活動に時間を使いすぎて多少の罪悪感を感じております(ウソ)。
それにしても、昔と同じように遊んでいると、本当に体力の衰えを感じます。そうなんですね。私達ってもうアラサーに突入するんですよ(厳密な定義によると27〜33歳を指すらしいですが)。
もちろん、まだまだ若いつもりですし、若いつもりで無茶なことをするのも大切だと思っていはいます。ただ私としては、「まだ若い」=「膨大な時間が残されている」という解釈をするべきではないと思います。
少し年配の方と話をしたりすると、20代や30代なんて、「人生まだまだこれからじゃないか」と言われることがしばしばあります。確かに彼ら彼女らにとっては、私達なんてまだまだ将来的に時間が残された若者なのかもしれません。
しかし、私たちの将来にどれだけの時間が残されているかなんて今の私達にはわからないんですね。年配の方々は「すでに生き終えた」という事実が確立されていますが、私達の場合は「おそらくそのぐらいは生きることができるだろう」という類推の域を超えないからです。
私は今25歳です。私は25歳になったとき、「人生の半分が終わってしまった」と友人によく言っていました。人生50年と言われた昔であれば自然な発言も、今であれば冗談だと解釈されます。今はもう人生80年の時代だからです。
別に本気でそういう発言をしているわけでもないのですが、半ば本気で人生の半分をすでに生きてしまったという気持ちはあります。私の父は50歳の時に他界したからです。私にとっては50歳あるいはそれ以前に死んでしまう人生は十分に有り得る話なのです。
おそらく、若くして亡くなる人が私の身近なところにいなければ、人生50年かもしれない、ということにあんまり現実味を感じることはできなかったのだと思います。大震災の被害にしてもそうですが、本当にリスクを身近に感じたことのない人たちの想像には限界があるからです(こればっかりは仕方がない)。
色んな本を読んでいても、当たり前のように「これからは人生80年の時代だから・・・」みたいな前提で語られることが多いように感じます。平均寿命がいくら伸びても、自分の人生が80年続くという保証はどこにもないのです。
若い人はエネルギッシュではあっても、たくさんの時間が残されているわけではないのです。元気なうちに色んなことに取り組んで時間を有効に使っていきましょう。