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∑考=人

そして今日も考える。

それが会社であり、組織というもの

またまた久々に書く。労働基準法ギリギリの労働はまだ終らない。

 

最近になって、教育の有り難みを痛感することが多い。私の職場には人を育てる風土がない。私の経験上、どこの世界にも人にやたらと教えを解きたがる人が多数存在しているはずなのだが、私の担当にはそういうタイプの人間が少ない。

 

かくいう私も2年目になって後輩ができたものの、特に意味のあることを教えてあげた記憶はない。もちろん、チームが異なるために接点が少ない、ということもあるだろうが、同じチームであっても自ら進んで教えることはほとんどないだろう。

 

私が教えるという行為を実施しない理由は明白である。自分自身がまだ教えるに値するほど仕事のことを理解しているとは思えないからである。(もちろん、決まりやルール、システムの仕様など、定義したものについては教える。)

 

ただ、システム開発の進め方に関しては、何一つ自信を持ってこれが正しいと思えることなどない。それどころか今の担当のやり方は全てが間違っているようにも感じている。ただその型を否が応でも守っていかなければならない。それが会社であり組織というものだ。他の会社もそうなのかもしれない。

 

おそらく、私よりも上の世代の人もそうなのであろう。自分で考え、答えらしきものにたどり着いてはいるが、本当のところそれが正しいのか間違っているのか、よく理解できていないのである。

 

だから、なんとなーく上の世代の人達がやってきたやり方を踏襲する。過去のプロジェクトと今のプロジェクトの特性が全然異なっているのに、同じ方法論で進めてしまっている。過去に実績がある方法というのは、なぜこうも信頼されるのだろう。だれもその背景にある意図を理解していないからに過ぎない。そして意味の伴っていない型を身につけて、それが正しいと考え進めていく。

 

こういった風潮の前に一人の人間なんて無力なものだと思う。建設的批判という言葉をビジネス研修で学んだことがあるが、あれほど都合の良い言葉はないと最近思うようになった。ようするに新人の癖に文句を言うのであれば、他のもっといい考えを提案しろ、ということである。ただし、上の立場のものはというと、こちらの提案や考えに対してただの批判をするだけだ。それでも立場や権力には敵わない。これが会社であり、組織というものだ。

 

近日中に、協力会社のうちの1社が入れ替えになる。元々二つの会社に外注してシステム開発を進めていたが、片方の会社の業績があまり良くなかったからである。ただし、本当のところ一番問題があったのは、我々の会社である、というのが私の見解だ。

 

そもそもプレイヤーが優秀なのであればマネジメントなど不要である。私たちの会社など、言ってみれば、プレイヤーには見えていない部分の問題をどう発見し、解決していくか、というところに価値があるのだ。そこに問題があったことを我々として受け止めず、他社のせいにしてしまっては話にならない。たまたまもう片方の協力会社のトップが極めて優秀であったため、我々がほとんど介入しなくても上手く仕事を進めていただけに過ぎない。

 

これも結局、会社の力関係である。私たちの会社が発注側であり、協力会社にとってはお客様である。だから私たちの言い分が全て正しいことになるのだ。これが会社であり、組織というものである。

 

そして当然、我々にもお客様がいる。こんなことをブログで公表してどうなのかという話もあるが、今私が携わっているプロジェクトはまた1からやり直しになった。今更になって、お客さんの方で事業化が難しいことに気づき、提携会社等含め新しくなってしまったからだ。

 

我々としては、そもそも現在のプロジェクトを受注する段階でも事業化に対する懸念をお客さんに伝えていなかったわけではない。しかし、今になって辞めるとお客さんが言えば、辞めざるを得ない。それが会社であり、組織というものだ。

 

そして、内部では、まぁお金が貰えるならそれでもいいか、むしろ受注額が上がるから有り難いか、なんて話になる。結局お金を貰うのが仕事なのか。確かにそうなのかもしれない。それが会社であり、組織というもの・・・なのだろうか。