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そして今日も考える。

ビジネスとコンシューマーの思考ギャップ

ネットの普及によって、知識がいらなくなりました。例えば、知識人はかつての時代であれば優れていると言うこともできたのかもしれませんが、今となっては大した価値を持ちません。あらゆる知識はネット上に転がっており、もはや人間の記憶能力に関しては、ネット上、すなわちサーバのデーターベースに取って代わられたからです。

 

これによって、情報の有無だけで人間の価値が大きく変わることはなくなりました。正確に言えば、誰しも情報を簡単に手に入れることができるようになったのです。すると、次は情報収集能力や情報処理能力といったものに重点が置かれ始めました。例えば、今はわからないことがあれば、「ググる」という方法が主流です。しかし、検索ワードの使い方や、訪れるページによっては得られる回答の正確さに大きな違いがあることもしばしばです。よく言われるように、ネットの情報は玉石混交なのです。なので、玉を見つける能力が求められるようになりました。

 

ただそれも徐々に改善されつつあります。例えば、グーグルでは、ページランクと呼ばれるアルゴリズムに基づいて、有益な情報を自動的に判断し、上から表示する仕組みがあります。つまり、情報収集力や情報処理能力に関しても、データマイニングなどの技術の発展によって、人間には求められなくなってきています。

 

今では、まとめサイトと呼ばれるブログが多数存在し、RSSリーダーなども一般的になりました。最近はSmartNewsやGunosyなどニュースアプリと呼ばれるものも登場してきており、ツイッターなどから自分の趣味嗜好を独自のアルゴリズムによって解析し、おすすめの情報を提供することが可能になっているのです。ニュース版、アマゾンのおすすめ商品ですね。

 

このような現状に私は危機感を覚えてしまいます。なぜなら、考える必要性のある場面がどんどん失われているからです。少なくとも、私たちは「ただ生きる」ためにはそれほど考えることを求められなくなりました。そして、これからも技術の進化により、考える機会はますます減っていくでしょう。

 

これこそが本質的に雇用機会が失われている原因だと私は考えています。つまり、大多数の人が考える習慣を失ったせいで、大衆の思考レベルが低下した一方で、技術自体は進化しているので、さらに高度な思考レベルが求められるために、働くことのハードルが一般人にとって非常に高いものになっているのです。

 

確かにIT技術に伴って、労働力が不要になった側面は強いです。しかし、新しい技術は新しい雇用を生むという意見もあるように、今までは必要なかった労働力が求められる可能性もあるはずです。その可能性に気づけないのは、ビジネスに求められる思考レベルと、コンシューマーに求められる思考レベルに大きなギャップができてしまったからです。

 

そもそも技術の進化というのは、考える時間を完全に奪うことが目的ではなく、無駄なことを考える時間を減らして、より個人にとって有意義なことを考える時間を確保することが目的です。顧客リテラシーの低下が問題視されているように、ただ単に、考えないために便利なモノやサービスばかりを利用していれば、思考力が衰えていくのは自明の理です。何でもいいので、考える習慣を持ちましょう。