∑考=人 〜プロメテウス〜

そして今日も考える。

「他」から学ぶ姿勢

「一冊の本で人生が変わる」。こういった誇張表現はよく引用される。この言葉は、本人にしてみれば嘘ではなくとも、他人にとってはやはり誇張表現に過ぎない。自分の人生を変えた本を他人に勧めてもおそらくその人の人生に大きな影響をもたらすことはないだろう。



確かに、本を読むことによって人生は大きく変わってくる。しかし、それには大切な前提条件がある。「他」から学ぼうとする姿勢だ。書籍というものは、基本的にそれを求める人の手にしか渡らないようになっている。本人の自主性があって始めて価値のあるものになる。だから、学びを求めていない人が本を読んだところで何も得るものはない。求めてもいないのに他人にアドバイスをされても聞く耳を持てないのと同じである。



つまり、読書をしようと思っていない人に読書を勧めても全く意味はない。勧める相手にとってのあなたがよほど偉大な存在でもない限り何の影響も与えることはできない。そして、あなたが本当に偉大な存在であるとしたら、あなたが本を読んでいる事実を伝えるだけで、本を勧めるのと同じくらいの影響を与えることができるはずだ。本を読んで人生が変わったと信じている人の多くは、実際のところ一冊の本が人生を変えたのではなく、本気で他から学ぼうとする姿勢こそが、人生を変える原動力になったことは間違いない。そういう意味では本に出会えない人は不幸だとも思う。



本気で他から学べない人は、残念ながら本と出会うことはない。いやいや、私は本を読まないけど他人からは沢山学んでいるという人もいると思う。ただ、友人や知り合いなど、自分が生きている範囲に存在する他人から学ぶだけでは他から学んでいるとは言えない。「他」とはあなたの周囲にいる他人という概念を、はるかに包括する概念なのだ。見ず知らずの他人、誰かもわからないような他人から学んて初めて「他」から学んだと言える。実際、本の著者など、読者にとってみればどこの馬の骨かもわからない存在だ。



では、他から学ぼうとする姿勢はどのようにして育まれるのか?それは端的に言えば挫折することにあると思う。別にあからさまな挫折である必要はない。最近何となく面白くないなーとか、そのくらいのレベルでも、考えようによっては挫折と呼んでいいだろう。挫折したとき、人間には2通りの選択肢がある。現状を良くしようと努めるのか、現状こそが実は当たり前だったと受け入れるのか。どちらが正解というわけではない。



ただ、現状こそが当たり前だと思った瞬間本と出会える可能性は無くなる。現状を受け入れるということは、今の自分を受け入れることであり、今の自分を完全に受け入れてしまえば、出会いは無くなる。とは言え、人生において、いつまでも自分を全面的に肯定することは不可能に近い。失敗すれば、少なからず自分を責めるし、状況が変化すれば、自分自身のマイナス要素が見つかることもあるだろう。そうでない人は、おそらく生きれているだけで幸せという悟りの境地に達している。



問題なのは、現状を良くしようと努める場合だ。子供の時なら、自分ではどうしようもない状況になったとき、神様にお願いしたことがあるだろう。この段階はさっさとクリアしてしまう必要がある。つまり神様に頼っても無駄だということを思い知っておかなければならない。そして、神頼みを諦めた人が、次に誰に頼るかというと、身近な人である。ここで、身近な人で事足りてしまうと、本との出会いは無くなる。そういう意味では、本と出会っていない人は良い仲間に恵まれてきた幸せ者とも言える。



そして、身近にそんな人が存在しないか、身近な人では自分の抱える問題を解決できないと思った人だけが本と出会う。藁にもすがる思いで、他に救いを求めるのだ。だから私は、本に出会っていない人は今までそんなに挫折しなかったんじゃないかなと半ば思ってしまう。人生で挫折を味わったことのない人の方が珍しいだろうが、これに関しては、客観的に見て挫折と呼べる経験があるかどうかよりも、実際に自分自身が挫折と認識した経験があるかどうかが大切であり、プライドが高すぎるとか被害妄想が強すぎる結果、主観的に感じた挫折の程度がどれほど大きいかが重要なのではないか、とも思う。



「そんな小さなことでクヨクヨするなよ」が失敗した人に対してかける言葉の定番だが、小さなことを本気で思い悩むことがあってもいいのではないか。一度他から学ぶ姿勢を身につけてしまえば、そう簡単に心は折れない。