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∑考=人

そして今日も考える。

細工は流々仕上げを御覧じろってな

日本の優秀な人達は得てして、制限の中で最大限に頑張るというのが得意な人種が多い。きちんとルールを守った上で何かを為すことが正しいと信じてやまないのだろう。まぁ学生時代には色んなルールがあって、そのルールを守れる人が優秀だという扱いをされてきたのだから、当然と言えば当然である。

 

申し訳ないし努力は認めるが、私はそういう人達をずっとバカだと思ってきた。否、今でも少なからずそう思っている。もちろん、破ってはいけないルールも中にはある。あるいは学生時代のルールだって本当は守らなければならないものだったのかもしれない。

 

ただ特に規則として明文化されているわけでもない、「やり方」についてのルールやお作法を何の疑いも持たずに踏襲する人はあまりにも多い。

 

例えば、授業はよく聞いてノートに先生の板書を移し、教科書の大事な所に線を引く、というのは学校で何となく皆が教わる勉強法のお作法である。あるいは、受験をするなら予備校に行くべし、みたいな考え方も、もはや一つの受験攻略法として確立されている。

 

で、こんな風に勉強に取り組んだにも関わらず結果が思うように出ないと、授業をもっとよく聞いた方がいいのでは?とか、ノートの取り方を変えた方がいいのでは?とか、挙句の果てには予備校(の先生)が自分に合ってないのではないだろうか?なんていう原因分析になる。

 

うん。なんでやり方が間違ってるのかも、って思わないのだろうか。私は本気で受験を決めてからは学校の授業は一切聞かなかったし、ノートも取ったことがない。もちろん、予備校にも行かなかった。みんなが当たり前のようにやっているやり方がとても自分に効果的だとは思えなかったからだ。

 

やり方っていうのは目的に対してどれだけ近づけるのかを決める最も重要な部分である。そこでコケたら、もうどれだけ努力しようが出せるアウトプットの質は大きく制限されることになる。システム開発でも外部設計をミスったらもうその時点で品質の限界は決まる。内部設計でいくら創意工夫を積み重ねようが、外部設計で担保した品質以上のものはできない。

 

であるにも関わらず、本当に大切な部分を自分の頭で考えない、というのが制限の中で最大限頑張るのが得意な人の最大の欠点だと思う。ただただ皆がそういうやり方をしているからそういう風にやるのが正しいと信じ込んでいるだけ。そして、その中で工夫や努力をすれば必ず良くなると思い込んでいる。しかし、馬の筋力をいくら増強させようが、自動車の速度には敵わない。

 

会社に入ると、「仕事のやり方」から教わることになる。もちろん新人のうちは何もかもがわからないので、「やり方」をしっかり学ぶ必要がある。これについては私も異論はない。

 

成長するための道具を与えられることもあるだろう。それを記入することで自分の成果について考える機会が与えられる、みたいな書類やシートがそれに当たる。これも最初から全く無意味とまでは言わない。

 

しかしいつか、というか近い将来、そんなものは不要になる時が来る。そもそも他人に与えられた作法とか道具なんてものが自分にドンピシャで当てはまるなんてことはない方が当たり前なのである。

 

残念ながら、そういう時期を越えているのにも関わらず、会社の制度上、作法や道具を強制的に使わさせられることもある。聞く話では大企業などで顕著である。全体最適化の観点では、いかに最低限の成長を担保するかが課題となるので、個人の成長にインパクトのあるようなリスキーな施策は行われないからだ。

 

はっきり言うが、自分に不向きなやり方や道具の活用法を学ぶほど無駄な努力はない。

 

学校のわかりにくい教科書を理解するために時間を費やすのであれば、わかりやすい参考書を別で買ったほうが必ずいい。どうせ学校ではその教科書を使うのだから理解した方がお得、などという思考では結局目的に対しては遠回りになる。それほど、自分にとっての向き不向きというのは大切なのだ。

 

強制されたやり方や道具を無理に使わずとも成果を挙げれば良い。細工は流々仕上げを御覧じろ。そう言える人になろう。