スポーツでも勉強でも仕事でも、何か一つのことをテーマにして進めていくと、必ずぶち当たる壁がある。「あれ?なんかサチってきた?」という感覚だ。サチる、サチュレーション。すなわち、自分の能力や自分の出せる成果が定常状態に近づいているな、という感覚のことだ。
私にとって、この瞬間は「飽き」の瞬間となることが多い。特に、結果を出したことによるメリットがもたらすモチベーションよりも、自身のスキルが向上していくことにモチベーションを感じているようなことをやっている場合はそうなる。
私にとっては多分、受験勉強とかバスケットボールがそういう類のものだった。そもそも受験に合格すること、とか試合で相手に勝つことに対するモチベーションはそんなになくて。むしろそういう仮の目標があって、そこに向かって成長していることが面白かったのだ。
成長しているうちは面白いけど、余地がなくなると途端に飽きる。そういう物事を好きだと考えていたけれど、これは本質的に”好き”ではないのだと思う。最近になってようやくそんな考え方になってきた。まだ同じように錯覚している人もいるんじゃないだろうか。
では、本質的な好きとは何なのか。
例えば、私の場合、ブログを書くのは、自分のスキルの向上などは求めているわけではない。今更、文章力を向上させようとか、構成力を上げたいとか、そういうモチベーションはそれほどなくて。実際のところ、ブログを書くことを通じて自分が成長しているという感覚はほとんどない。
それよりは自分という存在や思考を保存しておきたい、とか作品を創りたい、みたいな欲求を埋めたくて、書いている。つまり、成果に対するモチベーションの方が強いので、飽きずに続けられているのだと思ってる。
逆に言うと、似たような文章を書くことに対するモチベーションは全くない。もっとも、結果的に人から見たときに同じようなことを言っている場合はあるのかもしれないけど。文章というのは表現方法が無限にあるので、自分自身で同じだと思うことがあんまりないのだ。
システム開発も私にとっては作品の創出に近い。もちろん、新しい言語を覚える学習の意欲もあるにはあるが、こんな風にしたいを実現できることが面白い。新規開発であればいいが、機能追加開発だと、既存のすでに確率された仕組みの中で「同じものを作っている」という感覚が優ってしまうことがある。というか、そういう場合の方が多い。
これまでは、仕事を楽しむ上で”成長”を拠り所にすることができた。できないことだらけで、伸び代だらけだったからだ。ただ、もうすぐ入社5年目ともなると、自分の伸び代が昔に比べてなくなってきていることを自覚せざるを得ない瞬間がある。
具体的な違いはあっても、「こうすればいいはずだ」、とか「こうやれば何とかなるな」、みたいなことがわかるし、それを実際にやったとして新しい成長があるかというとそれほど感じなくなってきている。別に全く成長していないとかではなく、過去の自分と比較して、ということではあるけれど。確実にサチってるなと。
こうなると、対策としては二つしかなくて。
一つは、これまでとは違う領域の仕事をやってみる、ということだ。あくまで成長に面白さを見出すスタンス。
ただし、このやり方には限界があると最近気づいてきた。私も、なんだかんだ小さい規模ではあるが、アプリ系開発に始まり、インフラ系開発、維持、そしてチームリーダー、新規ビジネス企画、営業・コンサル、運用設計・開発など、これまで業務や役割を変えて携わってきた。
その都度新しいことをやる面白さ、自分ができないことができるようになる面白さは確かにあった。短期的には。しかし中長期的にはどれも飽きてしまった、というのが真実である。ましてこの先、年齢的に自分の成長が衰えていくことを考えると、”成長”だけを拠り所にするのは心細い。
なので、別の方法が必要で。それがもう一つ、自分の作品(成果)を沢山残すことに対するモチベーションで頑張っていく、というやり方。自分が何を得るかではなく、社会に何を残すのか、という視点。前回の記事だと、ポートフォリオを作ることに対するモチベーション。
そういう風に考えないと、仕事人生はどんどんつまらなくなっていくなぁと感じたわけです。