∑考=人

そして今日も考える。

社会人と学生の決定的な違い

本日社会人になった。今日は入社式で偉いさん方から色々とありがたいお言葉を頂いて、役員の方たちとも少し話をして、今後の説明ぐらいで終わった。「社会人としての意識を持って・・・」みたいな話は多かったんだけど、イマイチ実感はわかない。まだ研修らしい研修が始まったわけでもないし、研修が始まっても、クラス単位で講義をして、担当の講師がいて、みたいな学生と変わらないスタンスだからだ。

 

実際、社会人と学生の違いってどこにあるのだろう。責任の重さ、給料があるかないか、色々と違いはあるだろう。でも、本質的な違いは一体何であろうか。なんてことを考えていた。偉いさんのメッセージによれば、趣味嗜好の合わない人と付き合っていかなければならない、というポイントが追加されていた。なるほどね。

 

確かに社会人になって(というか内定が決まってからもずっと思っていたことであるが)、人間関係が手段化している、と強く感じるようになった。タイトルには「社会人と学生の決定的な違い」なんていうタイトルを付けたけど、実際には小学校から社会人に向けてグラデーション的に人間関係は手段化する方向に向かっているように思う。

 

要するに、一緒にいて楽しい人ではなく、何かしらのメリットをもたらしてくれる人との友好関係を気づかなければならない、という義務が最上位に達するのが社会人なのだ。当然同じ会社の人は同じ会社というだけでメリットがあるので、仲良くなった方がいい。実際には、仲良くならなければ会社の中では生きていけない、ぐらいの強制力を持っている。

 

そんなわけで、今日も初日からいきなり飲み会に参加することになった。みんながどこまで本気で楽しんでいるかはわからないけど、正直私にとっては面倒臭い。本物の人間関係なんて時間をかけてしか作られないと考えているからだ。たった1日や2日で仲良くなれるはずがないし、ただひたすら語り合っただけで分かり合えるほど人間は浅はかな生き物ではない。

 

ただ、皆そんなことは重々承知しているのだと思う。でも、仲良くなったように演じることで、コミュニケーションを円滑にすることはできる。人間関係は手段でしかないので、別に本質的な仲の良さ(つまり、中学高校のような友人関係)を構築する必要はないわけである。これが何とも気持ち悪い。

 

別に人間関係を手段にしてしまうことを全面的には否定しない。そもそもビジネスの世界においては業績を上げることが最重要課題である。そして、業績を上げるためには大きな仕事をする必要があり、大きな仕事は一人ではできない。そのため、他人と協力する必要があるのだが、全くの赤の他人とは連携もクソもない。そういうわけで、上辺だけであっても、お互いにコミュニケーションがとれるという共通認識が極めて重要になる。

 

ただし、上辺だけの関係をインスタントに構築できるのがうまくなると、本質的に仲良くなるキッカケを失ってしまう。実は3ぐらいの友好度しかないのに、10ぐらいの友好度があるように振舞っていると、残りの7を埋める努力をしなくなってしまうのだなぜなら、もうすでに表面的には10の友好度であり、コレ以上仲良くなる必要はないからだ。そして、人間関係は手段でしかないから、その7を埋める努力をしない方が合理的になる。そんな時間があるなら自己研鑚に励むべき、ということにもなる。

 

一応私も数十人ぐらいの友人ができたにはできた(と思う。)でも彼らについて私が把握していることはせいぜい5Wについてのみである。よって、同期たちのHow、すなわちどんな人間で、どんな考え方を持っていて、ということは全く見えてこない。無論私のHowだって誰にも伝わっていないことだろう。でも、結局Howのわからない友人はどこまでいっても知り合いの域を超えない。

 

もちろん、これから苦しい研修を皆で取り組んでいけば見えてくるものもあるだろう。だからこそ余計に、そうなった時に分かり合って仲良くなればいいじゃないか、と私なんかは思うのだが、如何せん、皆上辺だけでも繋がりたがる。とりあえず、私は色んな人と友好度1を築くことを目標に頑張っていこうと思う。本質的に仲良くなれる人に対しては、仲良くするための努力なんていらないのだ。