∑考=人

そして今日も考える。

やり方に口出しされたくないなら結果を出すしかない

自分のやり方に対して他人から口出しをされるのが好きな人はいない。ただ、他人から自分のやり方に対して指摘をしてもらえるというのは実はとても有り難いことでもある。子供ならまだしも、大人になってからはそういう機会は格段に減る。

 

とは言え、その全てが有益である、というのは全くの間違いである。そもそも他人の意見を受け入れるのは自分をより良くするため、自分が出す結果を良くするため、それのみのためである。それ以上でもそれ以下でもない。

 

しかしながら、残念なことに、この世には、結果を出していないにも関わらず、他人に対しては説教打った発言をするのが大好きな人が沢山いる。自分のやり方こそが正しい(ただし、この世が間違っているので結果が出ないあるいは他人から評価されないだけ)と考えているような人である。この人達は自分の考え方をやたらと人に押し付ける傾向がある。

 

そういう人の考え方に耳を傾ける必要はない。もちろん、そういう考え方をする人がいる、という事実は認識する必要があるが、波風を立てないように適当に聞き流すのが正解である。結果が出ないということはやり方が間違っているからである。

 

自分がそれなりに評価を受ける結果を出していて、何より自分自身がその結果に対して満足しているのであれば、そのやり方について一切他人の意見なんて聞く必要はない。少なくともあなた以上の結果を出している人意外の意見なんて何の役にも立たないと考えて良い。

 

ただし、自分の満足の行く結果が出ないことも当然ある。というかその方が多いのが人生だろう。そして、説教おじさん達は基本的に、結果に問題がある人に対して口出したがる生き物なのだ。上手くいっていないことを自認している中で、他人からダメ出しを喰らうのは中々辛いものではあるが、ここはじっと耐えることだ。

 

おっさん達の意見が正解か不正解かは別として、思い通りの結果が出せていないなら、少なくとも自分のやり方が間違っていることに異論はないからである。他人の不正解が自分にとって正解、という可能性はあるのだ。自分にはできないけど、どういう風にやればいいかだけを流暢に語れるコーチみたいな人間は意外なほど多いので、上手く活用しよう。

 

よく、ずっと自分はこのやり方が正しいと信じ、最終的に結果を出すことができました、みたいなことを言う人がいるけれど、正確には違う。同じやり方を繰返し反復する中で少しずつやり方が変わってきた、その結果上手く行っただけである。本当に最初からやり方で取り組み続けたとしたら、必ず失敗続きに終わっている。

 

やり方に対して一々口出しされたくないのなら結果を出そう。