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そして今日も考える。

好きなことを仕事にするのは理想論なのか

私が今まで読んできだほとんどの自己啓発書には、好きなことを仕事にした方がいい、という助言が記されていました。この影響もあってか、私自身一応、自分の興味関心に重きを置いて働く会社を選びました。しかし正直に言うと、この先働いてからこの考え方が変わってしまう可能性は大いにあるんじゃないかと思います。

 

おそらく、多数決で言えば、好きなことは仕事にしない方が良い、と考えている人が多いはずです。そして、好きなことこそ仕事にした方がいい、という意見は、何らかの形で成功している人たち、いわばマイノリティな存在に特有の意見といっても過言ではありません。つまり、普通の人間にとっては好きなことを仕事にするなんて理想論でしかない、そういう意見が目立ちます。

 

好きなことを仕事にしてはいけない理由の一つに、責任が発生するから、というものがあります。たとえ好きなことであっても、社会に対する責任、組織に対する責任、結果に対する責任が付随すれば、自分の思い通りにできないことは必ず出てくるでしょう。

 

例えばの話、私は今ブログを割と楽しく書いています。ですが、これを楽しいと思えるのはたぶん、趣味の範疇を超えていないからです。もし、私が誰々に向けた何々についての記事を書いてください、という仕事としてブログを書かなければならなくなったとしましょう。このとき、今まで同様純粋に楽しめるかというとそう単純にはいかないと思います。

 

会社に勤めていれば、当然組織に対する責任を負うことになります。そのため、いかに好きなことだといっても、評価に値するアウトプットを出さなければいけません。そして、どんなものが評価されるのか、を定義するのは会社のトップ層になるでしょう。つまり自分だけのわがままで好きなことをすることは難しくなります。

 

会社に勤めていなくとも、必ず顧客に対する責任がつきまといます。フリーで働いていようが、顧客に評価されないアウトプットを出していては仕事は成立しません。そのため、自分の好き放題に好きなことをやっていては仕事を持続することができなくなります。そして、仕事を成立させることを優先していると、思っていたのと違う、という結果を招いてしまいます。

 

これが仕事と趣味の違いであり、責任があるかないかの違いです。ですが、本質は少し違います。問題なのは、責任が発生することによって、「好きなことはしているけど、好きなようにはできていない」という状態を引き起こしていることです。

 

先ほど言ったように、私はブログを書く事が好きです。しかし、他人が決めたテーマや読み手を考えて書くのはあまり好きではありません。この理由は大きく3つあります。まず、書くテーマを決めるという上流部分の面白い部分が抜け落ちていること、そして、他人に合わせた表現を使えるほどのスキルや知識を持ち合わせていないこと、そして、他人を喜ばせるための向上意欲がないことです。

 

上流工程というのはたいてい創造的であり、面白い部分です。料理のレシピを考えたり、事業の企画を練ったり、洋服のコーディネートを考えたりするのが楽しいのはこのためです。ある程度の知識やスキルがあれば、創造的なことをするのは一般的に楽しいことに分類されると思います。なので、○○について考えるのが好きだからという理由は、○○を仕事にするモチベーションとしては弱過ぎると思います。

 

スキルや知識を持ち合わせていない、というのもこれに関連する話です。たとえ上流工程に携わることができたとしても、自分が持っているスキルや知識では他人から評価されるほどのアウトプットは出せないという場合があります。要するに、いくら好きであろうが、得意ではないなら仕事としては成立しない、ということです。

 

最後に他人を喜ばせるための向上意欲がないこと、これがおそらくもっとも本質的に仕事にするべきか趣味に留めておくべきかを明確に分けるものになっているはずです。まず、大前提として、仕事の原点は顧客のニーズを満たすこと、社会に対して貢献することです。つまり、どんな仕事であっても、その仕事に他人が笑顔になる要素が含まれていないと仕事としては成立しません。

 

好きなことを仕事にすると責任が発生するから嫌、というのは、差し詰め、他人を喜ばせるために向上する意欲がない、というだけの話です。この意欲が欠けていると、さらに高度なスキルや知識をつけようとはせず、今ある知識やスキルを使う方向へと向かってしまいます。また、好きなことへのこだわりが柔軟性を奪い、成長を阻害します。すると、当然の結果として良いアウトプットは出せません。

 

好きなことがあっても好きなようにできないのは、単純に能力不足なのです。正確には、能力を身につけていくための覚悟が欠如している、ということです。努力すれば秀でた能力が身につけられるとは限りませんから、好きなことを仕事にすれば、幸せになれるというのは理想論なのかもしれません。

 

だとしても、です。じゃあ好きなことを仕事にしない方がいい、というのは何かおかしいんじゃないでしょうか。好きなことで努力できない人が好きじゃないことで努力できますか?そして、それは好きなことで努力するよりも楽しいことなんでしょうか?

 

確かにマイナス面は少ないでしょう。好きで一生懸命やって出した成果についてダメ出しを喰らうより、別にどうでもいいような分野で適当にやった成果についてダメ出しを喰らう方がずっとマシです。でもそれって、傷つきたくないから好きな人とは付き合いたくない、みたいな思考回路ですよね。

 

まぁ恋愛と仕事は人生における重みもスパンも違うのでしょうが、逃げ腰スタイルであることには違いありません。別に逃げるのが悪いということではなく、それが本当に最善の選択なのか、というところに疑問を感じます。少なくとも今は。

 

好きなことを仕事にすればハッピーというのは理想論に過ぎません。しかし、好きなことがあるならば、それを仕事にする方が幸福に近づく可能性の観点では、合理的に思えるのですが、どうなんですかね。働いてからもう一度よく考えてみたいと思います。