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そして今日も考える。

技術力の高い人間になりたいというけれど、あなたの考える技術力とは何ですか

就職活動をしていると、「あなたは(将来的に)どんな人材になりたいと思いますか?」という類の質問をされることがよくある。就職マニュアル本にものっているし、どんな企業にも共通するベタな質問の1つなのであろう。

 

実はこの質問に答えるのは難しい。正確には、この質問の答えによって他者との差別化を図るのが難しい。働く前から自分がどんな人材になりたいのかを具体的にイメージできる人などほとんどいないからだ。

 

その上、「平社員として頑張っていきます」なんて小さい目標を掲げるわけにもいかない。結局みんな、「グローバルに活躍できる人材になりたい」とか「マネージャーとして大規模なプロジェクトを動かしたい」ぐらいの曖昧な回答に落ち着く。

 

ことのほか、IT企業の場合は、「技術力の高い人材になりたい」という人が多い。私もITアーキテクトとして大規模なシステムを構想できる人材に・・・などと言った記憶があるが、平易な言葉にすれば同じことである。

 

ここで、疑問がある。技術力とは何ぞや?ということだ。自分自身が口にする時も思っていたことだし、とある企業が「うちは技術力のある社員が多い」という発言を聞いた時にも思っていたことだ。そして、今も実はよくわからない。ただ便利な言葉なので、皆が口々に使う。

 

一昔前であれば、職人をイメージすれば良かったのかもしれない。精密な作業プロセスによってモノを作れる人。要するに、技術力の高い人とは、切ったり削ったり、加工するのが上手い人(=職人)のことを意味していた。

 

しかし、今はどうだろう。産業革命の後、切ったり削ったり、加工プロセスは主として機械が担っている。上記のような考え方であれば、技術力が高いのは機械であって人間ではない、ということにもなる。実際、日本は未だに技術力が高いと言われているが、技術力の高い人間が多い、という表現を聞くことはあまりない。

 

機械(あるいはコンピュータ)自体が高い技術力を備えるようになったため、むしろ昔のような職人は減っている。職人とは、技術力の高い人ではなく、技能を持った人のことなのだ。昔であれば、技術力が高いこと≒技能を持っていることだったのかもしれないが、今も同じように考えているようではちとまずい。

 

技術力の高い人材(技能のある人間)を目指すのは危険な発想だ。昔、技能を持った人間が重宝されたのは、その技術の共有が難しかったからである。しかし、コンピュータが技能を持った今、その技能の共有はいとも簡単にできる。職人が減ってしまったのは、職人が必要なくなった結果として現れた事象にすぎない

 

むしろ、現代における技術力は、1つ上のレイヤーの技術を指していると考えていいと思う。単純に道具を上手く活用するのが昔の技術力だとしよう。すると、例えば道具を上手く活用してくれる機械をいかに上手く組み合わせて活用するのか、などが現代の技術力なのではないだろうか。あるいは、道具をさらに上手く活用できる新しい機械を考えたりする能力も現代の技術力かもしれない。何にせよ、昔ながらの職人的な技術力とは全く異なる。

 

少なくとも、プログラミングスキル=技術力という短絡的な考え方は捨てた方が良い(実際そういう勘違いをしている人は多い)。例えば、プログラミングの並べ替えアルゴリズムの1つにバブルソートというものがあるが、これを自分でコーディングできても技術力が高いわけではない。既に確立された技術であり、ライブラリの中にも入っているからだ。

 

技術だけで価値あるものを生み出せる時代は終わった。価値あるものを作るためには、もはや職人技では太刀打ち出来ないのだ。それでも技術力を求めるのであれば、今に求められる技術力とは一体何なのか、一度考えてみる必要はあるだろう。