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∑考=人 〜プロメテウス〜

そして今日も考える。

友達は少ない方がいい

なんとなーく、同期が同期たちに逃げようとしている空気感がある。配属先に上手く馴染めず、仕事自体つまらないため、そういった既存の、比較的安定した人間関係に逃げるのだ。最初はあれほど互いに気を使っていた同期も、今となっては友達と定義して何の遜色もない。

 

安定した人間関係に身を投じることは確かに楽しいし、楽だ。こうしてそれぞれがバラバラに配属されて、よりしんどい人間関係に晒されるようになれば、相対的に同期間の繋がりは強いものになる。

 

すると、心理的に安定した繋がりを求めるようになるのが人間だ。これが企業内の人材が同質化していく流れなのかもしれない。楽な人間関係に集まって、みんな仕事の愚痴を言って、上司の愚痴を言って、働きたくないと言って、最終的に月1で集まろうね、みたいな話になる。

 

同期が少数だったならば、別に月1ぐらいで集まることに何の問題もない。むしろ、互いに現状を確認し合うことで、自分を客観視することができる利点もある。でも、そんな会合がいくつものグループで開催されるとしたら?それだけ自分の時間もお金も奪われてしまう。

 

奪われてしまうなんて言い方をしたが、先ほども言ったように、同期たちで集まることは楽しいのだ。何の意味も為さない会話、雑談でも楽しい。しかし、私はこの、楽な人間関係を麻薬のようなものだと考えている。特に、そういう人間関係なしには毎日を生きていけない、なんて状態になってしまうのは完全に依存症だ。タバコやマリファナとなんら変わらない。

 

私は、大学生の頃にこういった楽しみスパイラルから抜けられない自分に嫌気がさしたし、そもそもそれ自体が与える楽しみに関して疑問を持つようになった。楽しいけど、生きた心地がしないのだ。

 

だから、非常に酷ではあるし、贅沢なのかもしれないが、人間関係を選りすぐらなければならない。打算的に人とお付き合いをするのが大嫌いな私でも、その必要性を感じる。

 

全ての友達を大切に思うことはできても、誰に対してどの程度時間、どの程度のお金を割くべきなのか、というのは自分に残された時間、金を考慮して決める必要がある。要するに、全ての友達は大切にできないということだ。もう私たちには無限の時間は残されていない。

 

やっぱり友達は少ない方がいい。