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そして今日も考える。

ハラスメントは生態系みたいなもの

近年モラルハラスメントと呼ばれる言葉が使われるようになってきました。比較的馴染みのある言葉で言えば、セクハラやパワハラを含む概念のようです。端的に言えば、相手を徹底的に虐げ、精神的に支配しようとする行動の総称のことであり、簡単にいえば大人のイジメみたいなものです。

 

今では〜ハラスメントと名のつくものは30種類以上もあるそうで、例えば、アルハラ(ビールを飲むことを強要すること)やオワハラ(就活中の学生に対して、就職活動の終了を促すような発言をすること)なんかが最近使われるようになった言葉かと思います。

 

で、この手の問題に対して、コレ!といった解決策なんて基本的にはありません。ただし、なぜこのような問題が発生するのかを分析し、じゃあこういう風にすれば良いんじゃないか、という検討を社会は日々続けているのでしょう。そんなことも一応踏まえた上で個人的見解を述べておきます。

 

まず、前提として〜ハラスメントというのはほとんどの場合が、立場が強いものが立場の弱い者を虐げることを指しています。子供の世界で言えば、喧嘩が強くてみんなから人気のある子供が、ヒョロヒョロの運動オンチにイジメられることは絶対にありえません。

 

社会の場でも、新人が課長にビールを無理矢理飲ませようとしてもアルハラにはなりませんし、就職活動の現場で、あなた面接官に向いていませんよ、という発言を面接官に対してしたところで、オワハラにはならないのです。

 

この理由は実に簡単で、立場の弱いものからの攻撃に対し、立場の強いものは何のリスクもなく反撃ができるからです。ヒョロヒョロの奴にいじめられたなら、反対にボコボコにしてやれば良いし、課長が新人にビールを無理矢理飲ませられたなら、翌日叱った上で、今後二度としないように誓わせれば良いだけの話です。だから全くもって問題になりません。

 

上記から考えると、ハラスメント問題を解決する方法は実にシンプルで、立場の強い物が立場の弱い者に対して配慮をすれば良い、という結論が導かれそうです。しかしながら、それを実現すること自体が非常に困難なのです。

 

一つとして、立場の逆点が簡単に起こってしまいます。例えば、パワハラというのは広く定着した概念の一つです。また、こういった問題は個人個人によって感じ方は千差万別のため、境界線が曖昧を通り越して存在しないようなものになっています。

 

パワハラが問題であると認識された今では、本来なら立場が上であるはずの上司の方が、後輩の指導に対して消極的になり過ぎ、結果として新人の方が立場が上になってしまう、という矛盾が発生するケースがあります。

 

例として、少し昔にイジメで自殺してしまった生徒がいましたよね。もともとは立場の弱い側が立場の強い側にいじめられていたと思いますが、イジメをしていた生徒はイジメが発覚したあと、社会からの厳しい批判にさらされたはずです。もちろん、自業自得と言えばそれまでですが、イジメという観点で考えれば、結局同じことが起こっていると言えます。

 

別の話で、スメルハラスメント(ニオイによる不快感を与えること)という問題があります。これももしかしたら、昔なら「お前、臭えんだよ!」みたいなことを平気で言えた時代にはなかった言葉だと思うんですよね。

 

ただ、今上記のような否定的な発言をすること自体が〇〇ハラスメント扱いされる時代となり、だれも指摘できなくなった。つまり、立場の逆転がおこったわけです。その結果、今度は強烈な悪臭を放つこと自体を問題とする声がでてきたのではないでしょうか。

 

二つ目として、そもそも立場の強い弱いは局所的なものに過ぎない、ということです。必要以上のハラスメントが発生する理由は、自尊心が足りないとか諸説ありますが、要するにストレスが溜まっているからなんですよ。

 

課長がA君に対してパワハラをしていると仮定しましょう。すると、課長がワケもなく不必要なパワハラをするはずはないので、必ず原因があります。そして、その原因がどこにあるかというと、課長も部長からのパワハラを受けているんですね。そして、部長はといえば、奥さんの尻にしかれている状態。

 

奥さんは奥さんで、勤務先派遣会社で課長から不当な扱いにストレスを受けていて、派遣会社の課長はお客さんの偉いさんから無理難題を押し付けられストレスを抱えている。そして、お客さんの偉いさんというのが実はA君の父親であり、A君の父親はA君から暴言により傷つけられていた。

 

狭い人間関係に絞って、自分が他社に与えたストレスが自分に戻ってくる様子を表現していますが、こういうことが社会全体として起こっている結果がハラスメントだと思うんですよ。

 

私はハラスメントという言葉を聞くと、なんとなく生態系を連想します。近年では、少子化という言葉が叫ばれ問題視されていますが、実は生態系という観点で捉えれば既に人間が多すぎることの方が問題であるという見だってはできます。

 

個別にみれば、一つ一つのハラスメントは確かに問題に見えるかもしれませんが、むしろ大切なのはハラスメントを無くすではなく、ハラスメントのバランスを適正に保つことなのではないでしょうか。まだ、問題として明確に定義されているハラスメントだけを対象にて対策を考えたところで、別の問題が発生するだけでしょう。