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そして今日も考える。

耐性をつけるには

耐性とは元々科学的な分野で使われる、対抗する力のことなんですが、あの人は~耐性が強い、みたいにもっと一般的な表現として使われることがよくあります。私も孤独耐性が強いとかストレス耐性が強いとか、よく言われています。

 

しかし、もし仮に孤独耐性の強い私が、誰もいない何もない部屋の中で長期間過ごすことになったら、寂しくて死ぬと思います。少なくとも発狂するか号泣するかでしょう。何かしら精神に異常をきたすはずです。また、常に死と隣り合わせの状況に陥れば、多大なストレスを感じるはずです。

 

私は確かに人に比べれば、孤独は割と平気だし、大きなストレスを感じることも少ないと思います。ただ、とりわけ耐性が強いとは思ったことはありません。単に、日々の中でストレスをなるべく感じない方法を知っており、孤独を感じない方法を知っているだけです。

 

耐性というと、耐えた分だけ身につくような気がします。例えば、運動系の部活動では、厳しい練習に耐えると知らないうちに買ってに体力がついたり筋力がついたりします。これもある意味耐性です。

 

このような耐性はただ耐えるだけで身に付きます。なぜなら、あなた自身が意図的に何かを変えなくても、体の細胞自体が変化するからです。ありがたいことに体の進化は私たちの意識とは関係なく進むのです。

 

しかし、心(というと少し堅苦しいですが)の耐性については、ひたすら耐えても意味はありません。ただ耐えるのは、何も変えないのと同じだからです。なので、ストレス耐性や孤独耐性はひたすら耐えたところで、身につきません。

 

注目するべきはその考え方や行動でしょう。といってもその方法は千差万別である上、今までの自分には受け入れがたい考え方を無理に身に付けようとしても無理が生じます。また、ストレスや孤独を感じている、という人ほど、自分がどんな時にストレスを感じて、どんな時に孤独を感じるのか、を理解していない人が多いように思います。

 

例えば、仕事でストレスを感じる人は多いと思います。仕事がストレスの原因と結論づけても始まりません。仕事の中にストレスを感じる要素はたくさんあるからです。また、仕事の中でも人間関係にストレスを感じるという人がいます。では、具体的に誰が嫌で、とか、どんなところが嫌なのか、というレベルまで掘り下げない限り道は開けません。

 

そうやって考えること自体がストレスに感じる人もいます。それは甘えです。そういう人には嫌なものから逃げることを勧めます。仕事がストレスの原因なら、仕事自体をやめればいいのです。そんなことをしたら生活ができなくなりますね。でも考えるのが嫌で、しかもストレスを感じるのは嫌、というのなら残った道はそれしかありません。それに毎日ストレスばかりを感じながら仕事をしているよりは、生活保護でも支給してもらって生きる方が楽しめると思います。

 

仕事をやめてみれば、色んなことがわかるはずです。実は仕事にも良い部分があったとか、仕事をやめても将来への不安から別のストレスが増えたとか。考えるのが苦手な人でも何かを変えていくうちに自分のことがわかるようになります。

 

考えるのが嫌なら行動を変えてみるしかないでしょう。変えても変えてもストレスがなくならないと、最終的に考えざるを得なくなります。どうせ何をやってもストレスを感じるなら、ストレスを無くす方法を考えてストレスを感じる方がまだマシだと思えるようになるはずです。あるいは、現実に対する期待値が下がっていくでしょう。強いて言えば、それが耐性なのかもしれません。

 

過度にストレスを感じる人は、周囲が全然見えていないものです。自分ばかりがストレスを感じていて、他の世界にはきっともっと良い世界があって、みたいな。昔は良かったみたいな話を良くする人も同じタイプだと思います。過去の期待値のまま今を生きるからしんどいのです。今、過去の期待値を達成するためには、過去よりも進化した考え方が当然必要になります。