∑考=人

そして今日も考える。

将棋に深みを感じるのは人間の能力が乏しいから

「第3回将棋電王戦」森下九段敗れるとのことで、今回の電王戦も人間がコンピュータに負ける、という結果が確定してしまいました。これは残念なことなのでしょうか、それとも素晴らしいことなのでしょうか。

 

負けが続いてはいるものの、個人的には、今回も人間であるプロが一つ黒星を上げた結果に対して賞賛を送りたいです。記憶容量でも戦略策定の時間においても明らかに劣勢である人間がコンピュータに勝てるというのは本当に凄いことでしょう。まさに大局観を上手く駆使することで互角以上に戦えたことを立証しています。

 

しかし、今後技術が発展すれば、将棋の世界においても当たり前に人間が負けるようになります。なので、人間がコンピュータに勝てるなんて凄い、というよりは、まだ人間に勝てないなんてコンピュータの進化スピードちょっと遅くなってるんじゃね?という解釈の方が正しいかもしれません。

 

オセロやチェス、将棋などの碁盤ゲームは、本質的に「正しい選択肢」を選んだ人が勝てるゲームです。ただその選択肢の数が人間にとってはあまりにも膨大であるため、実に深みのある競技として人気があったのです。

 

話は変わりますが、小学校の時に「21を言ったら負けゲーム」というのが流行りました。二人対戦で、1から順に数字をお互いに言い合うゲームです。ルールとしては、必ず1つ以上の数字を言うこと、そして、数字は一度に3つまでしか言えない、というものです。やったことある人もいるんじゃないでしょうか。

 

で、やったことある人は知っていると思いますが、このゲームには必勝法があります。勝った状態を起点に考えていくとわかりやすいです。まず、このゲームに勝つためには、当然相手に「21」を言わせる必要があります。すると、必然的に自分が「20」を言わないといけないことがわかります。(相手は1つ以上3つ以下の数の数字を言わなければならないためです。)

 

すると、「20」を自分が言うためにどうすればいいかというと、「16」を自分が言わないといけないことがわかります。「16」を自分が言えば、相手のとりうる選択肢は「17」、「17、18」、「17、18、19」の3つとなります。そして、相手がどれを選択するかに応じて、「18、19、20」、「19、20」、「20」と使い分ければ「20」を確実に言うことができます。

 

同じように、「16」を言うためには「12」を言う必要があり、「12」を言うためには・・・と考えていけば、最終的に「4」を行った人が確実に勝てることがわかります。で、「4」を言うことができるのは後攻を選んだ人です。つまり、21を言っては行けないゲームにおいては、後攻を選んだ瞬間に勝ちフラグが立つのです。

 

もちろん、後攻を選べば必ず勝てるわけではありません。しかし、後攻であれば、相手がいかなる選択肢をとっても、必ず勝てる「正しい選択肢」があるのです。よって、状況に応じた正しい選択肢を全て理解している人にとっては最初から勝ちが確定している勝負なのです。

 

何が言いたかったのかというと、この21を言ってはいけないゲームも碁盤ゲームも必ず勝てる選択肢が存在しているという点で、本質的には全く同じなんですね。前者はシンプルかつ選択肢が少数(3つ)しか存在しないだけです。

 

いやいや、碁盤ゲームには正しい選択肢なんてない、という意見もあるかとは思います。しかしその理解は間違いです。正しい選択肢は必ず存在しているけれども、その選択肢が膨大すぎる(数億、数兆クラスの数でしょう)ために、早い段階でそこまでの道筋を立てるのはほとんどの人間には不可能であっただけです。

 

だからこそ、それができる人(=大局観のある人)が碁盤ゲームの世界では強者となっていたのです。実際、将棋では最終局面になると、その後何をやっても勝てないことがわかったりします。選択肢が減ってくれば、確実に勝てる選択肢がわかったり、もうすでに勝てない選択肢を掴んでいたことに気づいたりするわけです。

 

とは言え現状、コンピュータでも、全ての勝ちパターンへの道筋を把握しているわけではないと思います。なぜなら、全ての勝ちパターンを把握しているとすれば、21を言ったら負けゲームのように、先攻後攻のみでどちらが勝つかが決まってしまうからです。

 

そのような時代が到来すれば、もはや人間のプロと競うことに全く意味はありません。もしコンピュータに感情があったとしたら、将棋もクソゲーに感じることでしょう。逆に言うと、人間はその能力が低いからこそ、将棋に深みや面白さを感じることができるのかもしれませんね。