∑考=人

そして今日も考える。

「仕事ができる」とは?

社会、特に男性社会では結局仕事ができるかできないかの二元論で語られることが多い。にも関わらず、この「仕事ができる」というのがまた何を基準に語っているのかが曖昧だったりする。

例えば、コーディングスキルの高いエンジニアがいるとする。技術的な専門性も持っている。なら、この人は仕事できるよね、と評価されるかといえばそうとも限らない。

実際、「あの人、技術よく知ってるけど仕事はできない」と言われるケースはそこそこある。つまり、専門性と仕事の能力は別物だからだ。もっと極端な例だと「あの人、めちゃめちゃ優秀なのに仕事はできない」ということさえある。

そういった一見矛盾したような発言が飛び交うのはなぜか。それは仕事のできる/できないが、その人に与えられた役割を期待以上にこなしているか?で決まるからである。

わかりやすく言えぱ、その人と一緒に働くことによって、自分が楽、仕事のクオリティがあがるなどのメリットがある人を、人は仕事ができると感じる。

だから、先程の例で言えばコーディングスキルが高くても、マネジメントなども求められるポジションであれば、当然そのレイヤーの仕事ができないと使えない人の烙印を押されることになる。

反対に、事務処理系の仕事を卒なく早くこなせる派遣社員は仕事ができると見なされる。ここで、仕事自体の難易度はあまり考慮されないのもミソである。

ただ、仕事ができる人に共通するのは、問題解決能力だと私は思っている。どんな仕事であれ想定外のことが起こった時にどのように対処するのか。

これを「どうしていいかわからないので教えて下さい(私には何もできません。)」と簡単に匙を投げるだけの人は正直仕事できない人が多い。

別に一人で全て解決できることが重要ではなく(そんなことは稀)、解決に向けて主体的に動けるかがポイントである。巻き込み力?とか言われるものに近い。

また、仕事できる/できないはあくまで個人の主観でしかないので、常に他の人の感覚とズレていないかにはアンテナを張っておいたほうが良い。自分の感覚の方がおかしい場合があるからだ。

前述の通り、仕事ができるというのは与えられた役割に対しての実績で決まるわけだが、日本はこの辺の与える役割も明確でなかったり、管理職が介入していなかったりするせいで、本来与えるべきではない役割を押し付けていたりするケースもある。

例えば、管理者のAさんが他メンバ管理を勝手に一メンバであるBさんに押し付けたつもりだったが、Bさんがその役割を真っ当してくれないと、AさんはBさんのことを「仕事ができない奴」と感じるが、そもそも仕事ができないのは自分がすべきことを他人に押し付けているAさんですよ、という話。

とは言え、この「本来与えるべき役割かどうか」というのも明確な正解がなく、結局他組織との比較で決まるので、普通(他社にとって、他組織にとって、自組織にとっての普通)何なのかは常に考えるようにしておこう。

実際私の会社もそうだし、日本の会社は上記のように管理者が管理を部下に委任しているケースは結構あるように思う。

まぁ要するに言いたかったことは、たとえ今仕事ができようができまいが、別の会社や別の役割なら全然違う評価になるということと、問題解決する癖をつけることが大事ということ、に尽きる。