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∑考=人

そして今日も考える。

整合性とか気にしてたら何も変わらない

会社に入ってから整合性というものについてよく考えさせられることが沢山あった。業務のプロセス、設計書の書き方、管理簿のフォーマットなど。そして、これらを自分の思いだけで勝手に変更してはいけない理由が「整合性」である。

 

局所最適と全体最適は必ずしも一致しない。局所的に最適化しようとすれば、全体が則っている暗黙のルールに反することになり、整合性がとれなくなってしまうのだ。だから一見変えた方が良いように思えることも、全体に対して見直しを測れないのであれば、やらないという選択が正しくなる場合もある、ということになる。

 

でも、これはある一つの前提を基にしている。それは元々のやり方が全体として十分に最適化されている、ということだ。全体としてそれなりに上手く機能しているのであれば、部分的な修正を加えることで全体として質の悪いものになってしまう可能性はある。

 

ただし、そもそも全体としても上手く機能してないのに、そことの整合性など気にする必要などあるのだろうか。全部が悪い状態よりは、一部だけは優れている状態の方がよっぽどいいとは思わないだろうか。整合性という言葉を理由に改善を怠っていたら、何も変わらない。

 

人間は直立している時、もっともバランスが取れている。しかし、歩くときには必ず片方の足を挙げてバランスを崩す。そして、また足をついてバランスを取っていくのである。これをもし完璧にバランスを取り続けようとしていたら一歩も前には進めない。

 

企業活動も全く同じである。整合性なんてものを気にしてたら前に進めないのである。我々の目的は何なのだろう。どんな瞬間でも整合性が取れている状態を目指すことなのか。それとも、最低限の整合性を保ちながら前に進める(=改善する)ことなのか。そんなものの答えは決まりきっている。

 

確かに瞬間的に見れば、片足で立っている人間はあまり見栄えの良いものではないのかもしれない。しかし、現実はいつだって流れ続けている。スナップショットではないのだ。誰かが一旦今のバランスを崩さなければ何も変わらない。一度バランスを崩し、それをまた元に戻そうとすることで、少しずつ物事は良くなっていくのである。

 

何も考えず既存を踏襲していたら、いつしか組織どころか人生も棒立ちになってしまう。